2012年 6月に読んだ本

●6462 Deliver (デリバリー)(SF) 八杉将司 (早川J) ☆☆☆☆★

 前作「光を忘れた星で」は堅実さは感じるが、住民が全員が盲目というアイディアを使
 いながら、逆にこじんまりまとまりすぎの感じがした。しかし、本書は違う。また一人
 化けた。高野といい、上田といい、瀬尾といい、五代といい、宮内といい、SF界は本
 当に優れた新人が輩出する好循環に入っているなあ。(高野は純粋SFじゃないけど)
 本書は冒頭の「わたしを離さないで」のような閉鎖空間(学校)から、いきなりエヴァ
 のようなインパクトが地球を襲い、生徒達は「バイオレンスジャック」状態になる。ま
 るで「アキラ」のような世界の中で、少年達と戦闘機械の闘いが描かれたと思うと、そ
 こに猿の顔を持つ天才科学者が現れ、少年達のとんでもない正体が暴かれる。(小谷真
 理が書評でばらしていたけど、まずいんじゃない?)しかし、話はここで止まらない。
 こんなものは序盤であって、毎章ごとに物語りはとんでもなく変調し、とんでもなくエ
 スカレーションしていき、一気に時が流れる。(主人公が目を覚ますと、いきなり7年
 が経過していたりする)ここからの展開は、正直簡単には書けない。「二重螺旋の悪魔」
 を更に数段バージョンアップして、ソフィストケイトしたとでも言おうか。ここまでや
 るか!と言う思いと、よくぞここまで!という思いが交差するが、やっぱりここまでや
 られると、降参するしかない。大森が絶賛しながら、前半が特に良いと評した気持ちは
 良く解る。そうは言っても後半の大技の連続は、正直つかれるのだ。本書の唯一の瑕疵
 は題名。英語表記では解りにくいし、なによりデリバリー=出産とは、普通の日本人は
 つながらないのではないだろうか。(あ、何となく「老人と宇宙」のテーストも感じる
 なあ)とにかく、今年のベスト候補であることは確か。

 ●6463 船に乗れ!Ⅲ 合奏協奏曲  (小説) 藤谷 治 (ジャイ) ☆☆☆☆

 Ⅱがあまりにも救いがなく、ストーリーの必然性にも納得できなかったので、少し間が
 空いてしまったのだが、崩壊した秩序を取り戻す役割としては本書は良く頑張った方だ
 と思う。(少なくとも「1Q84」のⅢよりは意味がある)ただ、そのぶん予定調和の
 感じもするが、最後のほうで「船に乗れ!」という題名が効いてくる。金窪先生の再登
 場(僕は前半は、言われるほど良いキャラとは感じていなかった)と同時に、この言葉
 が、ニーチェの言葉であることがわかる。彼は言う。「船に乗ると、波に揺れるから船
 酔いをする。船酔いは苦しいが、いつかなくなる。しかし、揺れはいつまでも続く。船
 酔いがなくなったとき、君は船はもう揺れていないなどと思ってはいけないよ。それは
 大人の嘘だ。大人は自分自身についている嘘を、人にも信じさせようとする。自分より
 若い人に。誰がなんといおうと、船酔いが軽くなったからといって、船が揺れ続けてい
 ることを忘れてはいけない」これは心に染みた。

 ●6464 よろずのことに気をつけよ (ミステリ) 川瀬七緒 (講談社)☆☆☆

 「完盗オンサイト」と乱歩賞を同時受賞した作品で、確かに言われるように両極端の作
 風。「完盗」がぶっ飛んだ作品だったのに比べて、本書は全てが古風というか古臭い。
 で、結局どちらもミステリとしては評価に値せず、SFと比べて暗くなってしまう。こ
 の志の低さは何だ?二時間サスペンスの原作募集ではないんだぞ(って、そうなのかも
 しれないが・・・)。巻末の選評で、あの内田康夫が本書を絶賛しているが(東野圭吾
 は酷評)そういえば内田先生のデビュー作も、同じような作品だったような気がする。

 ●6465 氷山の南 (小説) 池澤夏樹 (文春社) ☆☆☆☆

 80年代、池澤は僕にとって村上春樹より重要な作家だったように思う。最初に読んだ
 「真昼のプリニウス」の、江戸時代の少女の手記の描写の新しさにショックを受け「ス
 ティルライフ」「夏の朝の成層圏」と読み進み「バビロンに行きて歌え」でノックアウ
 トされた。確かこれこそが「都市に流れるブラッドミュージックだ」と評した気がする。
 そのころの僕にとって、村上、池澤と日野啓三がかっこいい作家の御三家だった。そし
 て止めは大作「マシアス・ギリの失脚」。しかし、その後はどうもイマイチで「すばら
 しい新世界」で完全に見放してしまう。作品以上にその浅墓なエコロジーに耐えられな
 くなった。「静かな大地」で少し持ち直したが、まだ信用はしていない。そして本書。
 主人公がアイヌの少年で友人がアボリジン、恋人が中国系米国人というのはいかにも池
 澤らしい。前半は瑞々しい青春小説として一気に読めた。南極から氷山を曳航してオー
 ストラリアに運ぶという一大プロジェクトを支援しているのが、アラブの族長というの
 がうまい。そして主人公の密航が族長によって認められ、プロジェクトの一員となって
 いくあたりまでは、わくわくする。しかし、途中でアイシストという環境テロリスト
 が登場してから、また何やらきな臭くなってくる。ただし、今回池澤は必死にバランス
 をとっている。主人公をリアリスト、恋人をエコロジストとしてディシカッションをさ
 せるのは、まるで池澤自身の葛藤のように見えてしまうのだが、残念ながらその議論は
 それほど深いとは感じない。まあ、浅墓ではないが。というわけで、後半メロメロにな
 りかけたのだが(特に夢の使い方などオカルトっぽくて、大森なら大激怒ではないか?)
 何とかアボリジンの力を借りて乗り切ったか。今後に少し期待。しかし、アマゾンに未
 だ書評が一件しかないというのはねえ。しかも内容がひどい上に誤字だらけ。

●6466 中国人エリートは中国人をこう見る (NF) 中島恵 (日経P)☆☆☆★

 中国人を描いた名著「見えざる隣人」のラストにも、多くの日本大好き中国留学生が登
 場してきて、ほんとうにみんなこんなに日本が好きなのか?と驚いたのだが、本書に書
 かれている内容はそれを裏付けるものとなっている。本書の問題は、中国人及びエリー
 トの定義があいまいで、結局日本好きの中国人インタビュー集にも見えてしまう点であ
 る。しかし、あとがきを読めば著者はその弱点をしっかり把握しており、変に力まずに
 自分の得意な人脈を使って、ひたすらN数をかせいだということなのだろう。そこに深
 みはないが、膨大な情報の醸し出す一定の雰囲気というか、方向性はしっかり感じ取る
 ことができる。傑作とは言いがたいが、バランスは悪くないと思う。

●6467 鬼  (ホラー) 今邑 彩 (集英文) ☆☆☆★

 不覚にも、三作目の「シクラメンの家」を読むまで、本書が再読だとは気づかなかった。
 何年も前ではない、たぶん去年読んだのに・・・でも、新幹線の中だったので結局最後
 まで読んでしまった。本書はホラー短編集だが、今邑の作品にしては大きなどんでん返
 しはなく、ワンアイディアの切れ味で勝負という小品が多い。だからこそ、再読に耐え
 うるのだが、こういう作品がメインだと、ちょっと物足りない。

 ●6468 したくないことはしない (NF) 津野梅太郎 (新潮社) ☆☆☆★

 副題のとおり、本書は「植草甚一の青春」の記録である。従って、結局戦前の東京下町
 の物語になってしまい、僕の苦手なジャンルとなるのだが、今回ばかりは少年植草の歩
 き回る街が人形町ということで、今僕が会社の昼休みに歩き回るエリアと全く一致して
 珍しく面白く読めた。特に、植草少年があの小林信彦の実家の菓子が大好きだった、な
 んてびっくりである。そうは言ってもやはり本当は青春でなく、リアルタイムの植草の
 仕事の話が読みたかったのも事実。こうやって、彼の素顔が晒されるにつれて、「雨降
 りだからミステリでも勉強しよう」等々のエッセイで醸成された、植草のハイブロウか
 つ神秘的なイメージがどんどん薄れてしまっていく。結局僕は津野の仕事には興味があ
 るが、どうも文章には魅力を感じない。不思議なことに。でも、本書に多数掲載された
 植草のコラージュや写真は、それだけでも一見の価値はある。

 ●6469 小澤征爾さんと音楽について話をする(対談)村上春樹(新潮社)☆☆☆☆☆

 もう何と言うか、素晴らしすぎて呆然としてしまった。二人の天才が与えてくれた至福
 の時間。確かに僕は「のだめ」を読み込んだことで、以前よりはクラッシックの知識(
 音ではない)に少しは詳しくなった。しかし、本書で紹介される音楽は殆ど聴いたこと
 がない。そして、圧倒される村上の知識と、当たり前だが小澤の経験、人脈の凄さ。だ
 のに、二人の言葉はやさしく素人の僕を仲間に迎えてくれるのだ。こんなことがありえ
 るんだ。こんなことができるんだ。音楽の力と文章の力、言葉の力と論理の力。そして、
 それらの全てを超越していく力。そこには個人の立場はなく、純粋に対象への愛、いや
 たぶん愛という言葉を越えた神の領域に近づくもの、下界の言葉では表現出来ないもの
 がある。敢えて言うなら「肯定」か。あらゆるものを肯定しながら、無限に螺旋階段を
 登り続ける意志と愉悦。そして、そこには必ず天界の音楽と言葉が奏でられるのだろう。
 きっとここにないものは、天国にもないのだろう。

 ●6470 夢想の研究 (評論) 瀬戸川猛資 (創元社) ☆☆☆☆★

 ある研修において、金井先生に教わった課題として「十二人の怒れる男」と「十二人の
 優しい日本人」を見るように言って、オプションとして本書の第一章を紹介した。(そ
 れは「十二人の怒れる男」の意外な一面を描いたもので、実は僕はそれを金井先生に読
 ませたら、少しも気づかなかった、と驚いておられた)ただ、何か引っかかって図書
 で調べたらやっぱりチョンボ。僕は著者の「夜明けの睡魔」の方を間違えて紹介してい
 たのでした。閑話休題。しかし、名古屋出張につい本書を持っていって、のぞみの中で
 読み始めたら、再読のはずなのにやめられなくなった。もうその夢想ギリギリのアイデ
 ィア、さまざまなものをつないでいく力とその裏づけとなる博覧強記。圧倒的である。
 ハリウッドがなぜ米国建国映画ではなく、聖書映画ばかり撮り続けたか?とか、夏目漱
 石がバーの「放心家組合」を読んでいて「猫」に書いている、とかは憶えていたのだが
 「市民ケーン」は「Xの悲劇」である、とか、「僧正殺人事件」の犯人はアインシュタ
 インである、「炎のランナー」は剣豪小説である、とかのあっと驚く新説・奇説は僕の
 脳みそをグラグラゆすぶってくれる。こんなミステリ(映画)評論、いまや書ける人は
 いない。著者の早世を返す返すも惜しむ。

 ●6471 火焔の鎖 (ミステリ) ジム・ケリー (創元社) ☆☆☆☆

 先月は翻訳小説がゼロという体たらくだったのだが(実は「アイアンハウス」を途中ま
 で読んでいたのだが、何と大阪のホテルに忘れるというチョンボで時間切れ返却)、本
 書は大はつかないが、今年のベストの下位には入るだろう傑作。前作「水時計」と同じ
 く、素晴らしいリーダビリティーとキャラ立ちで一気に読ませる。色々なサイドストー
 リーも効いている。とても、第二作とは思えない堂々とした傑作。ただ、前作「水」が
 ともすれば地味な印象を与えたところへ、今度は「火」ということで色々派手な要素を
 ぶちこんだのだが、それをどう評価すべきか?27年前、米空軍の輸送機が農場に墜落
 した。この事故で九死に一生を得たマギーは、とっさに乗客の死んだ赤ん坊と自分の息
 子をすり替えていた。なぜ我が子を手放したのか?というメインの謎解きと物語の仕組
 みは残念ながら読めてしまう。また、ラストの意外性も必然性という意味では物足りな
 い。しかし、やはり本書は日本の本格派が忘れてしまった(ように見える)王道のパズ
 ラーとして評価したい。英国ミステリがみんなP・D・ジェイムズになってしまっては
 困ってしまう。

 ●6472 ラバー・ソウル (ミステリ) 井上夢人 (講談社) ☆☆☆☆

 これはもう何も書けない。是非、読んでください、というしかない。確かに本書は帯に
 あるように「恋愛小説」かもしれないが、何よりも本書は素晴らしいミステリ=パズラ
 ーである。だから、何も書けない。まあ、ストーカー小説として本書は幕を開けるが、
 正直その部分が粘着質で、あまりにも長くて嫌になってしまう、と感じる人も多いだろ
 う。(かく言う僕もそう感じた)しかし、嫌な部分は斜め読みでもいいから最終章まで
 たどり付いてほしい。面白さは(怖さ?)は僕が保障する。著者は前作「魔法使いの弟
 子」に続いて良い仕事をしているのに、あまり盛り上がらない。(図書館の予約も殆ど
 なく、僕が一番)繰り返そう、本書は内容について何も書けない傑作であると。是非、
 最後まで読んでほしい、と。

 ●6473 勝ち逃げの女王 (小説) 垣根涼介 (新潮社) ☆☆☆☆★

 垣根に何が起きたのだろうか。本書はあのリストラ請負人、村上真介を主人公とした、
 「君たちに明日はない4」であるが、何と今までで一番良い出来である。こんなことが
 普通シリーズものでありえるだろうか?もちろん、これまでの三作も抜群のリーダビリ
 ティーでその質は安定していたが、一方でそろそろマンネリとの闘いが始まっていた。
 しかし、本書は違う。素晴らしいとは敢えて言うまい。ただ、本当にしみじみ良い話ば
 かりなのだ。四篇は、それぞれ仮名は使っているが対象が、JAL、山一證券ヤマハ
 スカイラークであることはすぐ解る。(前作では仮名だったマツダが今回は実名で登場
 する)しかし、従来と同じパターンのリストラの話はひとつもない。しかも、真介はほ
 とんどのミッションで表面的には失敗する。しかし、読んでいて本当に元気がでるのだ。
 たぶん、第二作「ノー・エクスキューズ」において東電の事故が語られることから、こ
 れ以降の三作は、震災以降に書かれたのだろう。作者はここにおいて、われわれが忘れ
 てしまっていたことを思い出し、もう一度確認するという作業を行った。そして、それ
 は偶然なのか、第一作の「勝ち逃げの女王」JALの話とも見事にシンクロする。その
 結果、本書は従来の(厳しく言えば)単なるエンターテインメントの枠を超えた、われ
 われに勇気と矜持を取り戻させる力を持った傑作となったのである。これはもう、早速
 NHKで続編を放映してもらうしかない。(四篇とも良いのだが、「永遠のディーバ」
 には解っていても、涙腺がうるうるきてしまった・・・)

●6474 本格ミステリ鑑賞術 (評論) 福井健太 (創元社) ☆☆☆★

 ついに、というか、やっとというべきか、本書はミステリ評論における最大のタブーで
 ある、トリックを明かした上で、作者の企みを読み解こうとする論考である。実はこう
 いう書評を待っていた。もちろん、未読の作品のネタを割られるのは困るのだが、良く
 出来たミステリは、トリックよりもロジックが優れており、かの「Yの悲劇」の如く意
 外な犯人を知った上で読んでも、そのロジックの素晴らしさ(なぜ、犯人はその部屋に
 火掻棒のような凶器がありながら、わざわざマンドリンで撲殺を企てたのか?に対する
 回答の素晴らしさ=論理のアクロバットが僕の人生を決めた)が何ら損なわれない。と
 いうわけで、本書の前半は素晴らしく面白く、ネタを明かされる作品も名作中心でほぼ
 8-9割は読んでいる。しかし、だんだん途中から欲求不満になってきた。ひとつは、
 テーマがばらけすぎて、どうにも浅く広くなりすぎた。そして、ネタの割り方も中途半
 端になってきた。さらには取り上げられる作品も、最近の小粒なものが多くなり、読ん
 でないものがかなり増えてきた。というわけで、残念ながら本書はあの「ミステリジョ
 ッキー」が切り開こうとした新しいミステリ評論の衣鉢を継ぐには、まだまだ物足りな
 いと言うしかない。厳しく言うなら著者の実力不足か。

 ●6475  青銭大名  (歴史小説)  東郷 隆  (朝日新) ☆☆☆★

 何回か書いたように思うが、日経新聞縄田一男の時代小説のレビューは愛読している
 が、ときどき評価が全くずれるときがある。今回も縄田は大絶賛なのだが、僕は駄作と
 は言わないが、それほどに感じなかった。たぶん、時々縄田は(人気が)伸び悩んでい
 る?作家を必要以上にプッシュするのではないか。本書は、織田信長の父の信秀に使え
 た意足法師の物語。まず、どうにも文体がしっくりこない。また背景に感じられる網野
 中世史も今更の感じが強い。更に言えば、題名からも感じられるし縄田もそこを押して
 いた中世経済史としての側面も、あまりピンとこなかった。そして、結局最後まで信長
 が登場しないのも物足りない。

●6476 夜明けの睡魔 (評論) 瀬戸川猛資  (創元社) ☆☆☆☆

 あんまり「夢想の研究」が良かったので、結局こっちも再読。「夜明けの睡魔」の方が
 著者のデビュー作なんだ。というわけで、映画ではなくミステリに特化した評論で巻末
 で法月が感嘆しているように、前半はやはり素晴らしい。しかし、途中からだんだん著
 者がかなり癖のある嗜好であることに気づいてくる。そして、思い出すのだ。実は僕は
 学生時代著者が大嫌いだった。なぜならどの雑誌かは忘れたが、81年くらいに船戸や
 志水が中心となって起こした日本冒険小説の革命を全く無視して、今年の日本ミステリ
 にはろくな小説がなかった、などと書いていたからなのである。そして、その理由は本
 書を読めば明らか。著者はそもそも日本ミステリを殆ど読んでいないし、何より冒険小
 説どころかハードボイルドまで認めない、という主義なのだから。というわけで、後半
 の歴史的名作への(意識的な)批判あたりから、ちょっと鼻につく部分が増えてくる。
 著者もそれには自覚的ではあるのだが。というわけで、作品としては「夢想の研究」の
 方が著者の魅力を最大限に発揮しているように思える。

●6477 天狼新星 (SF) 花田 智 (早川J) ☆☆☆☆★

 いやあ、何度も言うが今日本SFはとんでもないことになっている。今度は64年生ま
 れで、理学博士でありながら演劇レーベル:ボータンツを主催する作者が、その演劇を
 小説に書き下ろしたものが登場だ。なにか、梁山泊状態になってきた。正直、題名や表
 紙からは、はやりのゲームやラノベのイメージがしたのだが、内容は全く違った。冒頭
 は、光ソリトン通信を開発している世界的なSOCM社の、日本に存在する特殊チーム
 の日常が描かれる。そして、たぶん従来の定義なら「おたく」ですまされていただろう、
 メンバーたちの造型が素晴らしく新しく、そしてリアルなのだ。彼らはキーボード以上
 に箸の使い方が素早く、膨大な量のスナック菓子を手を油で汚さないようにかたづける
 のだ。毎週現れる、お菓子ケータリングサービスの佐藤さん(必ずレアばかうけを用意)
 がいい味だしています。しかし、物語は次の章でいきなり2058年の電脳空間でのサ
 イ・ソル(特殊電脳兵)たちの闘いが描かれ、しばらくのあいだ現在と未来が交互に描
 かれる。ところが現在がリアルであればあるほど、未来の物語が意味不明に思えてしま
 う。(このプロットは例えば「ぼくらは虚空に夜を視る」あたりを思い起こさせたのだ
 が、決して本書はいわゆるセカイ系ではない)そして中盤になって、未来の戦闘の意味
 が見えてくると同時に、このふたつの物語は劇的につながり始めるのだ。ここからは書
 くまい。未来の滅亡を無理やり見せられてしまった双子は、時を越えてしまう。そうこ
 のプロットは、もともと鴻上の演劇っぽいな、と思ったのだが、ラストの急激な展開と
 乾いた絶望と希望は、正に量子力学版「モダンホラー」か「朝日のような夕日をつれて
 だ。正直言って、電脳空間に関する記述の8割方わからない。でも、許す。だからこそ
 この乾いていながらも、単純にニヒルに落ち込まない異様な迫力が生まれたのかもしれ
 ないから。わからない部分はどんどん飛ばしましょう。書評には、どうやって演劇化し
 たんだ?という疑問多数だが、僕はこの小説は優れて演劇的であり、見事なノベライズ
 だと思う。ここにまた、若くはないが有望な新人が生まれた。うらやましい。