2014年 12月に読んだ本

 ●7120 風の如く 吉田松陰編 (歴史小説) 富樫倫太郎 (講談社) ☆☆☆★

 

 

風の如く 吉田松陰篇

風の如く 吉田松陰篇

 

 

「堂島物語」や「軍配者」では成功した、著者の成長物語(ビルディング・ロマンス)なのだが、「北条早雲」に続いて、本書もイマイチのれなかった。本書の場合は登場人物の多くが、実在の明治の英傑たちであるのだが、それをこういうタッチで幼く描くと、僕にはどうにも違和感がある。

特に今回は、高杉晋作がただの木偶の坊に見えてしまうし、何より吉田松陰がとても痛い困った人に感じてしまう。まあ、実際そうだったのかもしれないが、エンタメとしてはカタルシスがない。

たぶん架空の人物であろう、風倉平九郎という主人公も今のところ無色透明で、正直成功しているとは言い難い。北条早雲の第二作も年内にでるようだが、本シリーズも合わせて、フォローすべきか迷ってしまう。

(たぶん大河便乗だと思うけど、帰りに本屋で「世に棲む日々」の新装版を見つけたので、最終巻と司馬のあとがき、解説を斜め読みした。で、司馬は晋作をリアリストし、意外なことに松陰の狂を嫌っているのだ。その革命思想は、日本軍、北一輝石原莞爾、そして三島由紀夫に繋がると。なるほどなあ、そういう見方もあるんだ)

 

 ●7121 サイレントステップ (競馬小説) 本城雅人 (新潮社) ☆☆☆☆

 

サイレントステップ

サイレントステップ

 

 

なかなか、本格的にブレイクしない著者だが、今のところコンスタントに本は出ている。平賀という毀誉褒貶激しい、希代のジョッキーの影武者、セカンドジョッキーとして、レース中に事故死した父。その死の謎を解くため、父の後を継ぎ平賀のセカンドジョッキーとなる小山和輝という青年騎手が主人公の、これまた成長小説。

物語は、一応ミステリの形式をとってはいるが、ディック・フランシスとは全く違うテーストなので、敢えて競馬小説とした。

著者はかつて「ダブル」で、フランシスに挑み?見事にこけた経験がある(ようは、ミステリセンスがイマイチ)ので、この選択は正しかったと思う。

本書はミステリではなく、競馬の世界の薀蓄でなかなか読ませる。惜しいのは、登場人物の造型がイマイチ足りなくて、せっかくの素材を生かし切れていない点。特に平賀をもっとうまく描かないと、肝心の真相がかなり唐突に感じてしまう。

しかし、最後に明かされる父の死の真相は、主人公にとっては衝撃ではあるが、後味は悪くない。伏線もきれいに張られている。というわけで、ミステリとしては弱いけど、少し甘めの評価。

 

 ●7122 非常事態の中の愉しみ (エッセイ) 小林信彦 (文春社) ☆☆☆★

 

非常事態の中の愉しみ―本音を申せば

非常事態の中の愉しみ―本音を申せば

 

 

かつて僕の神であった著者の週刊文春のエッセイも、既に立ち読みすらきちんとしなくなって何年か経つ。こうやって、本になったのを読むのはひさびさだ。ネットで調べると本書は14冊目(一年一冊)で、僕は12冊目まではきちんと読んでいる。しかも、律儀なことにこのあとも三冊ちゃんと出ている。

(鴻上のエッセイがなかなか上梓されないのと大違い。やっぱり、文春と扶桑社じゃ違うのか、小林と鴻上の格の違いなのか)

実は本書はあの2011年のエッセイなのだ。そのこともあって、ひさびさに手に取ったのだが、「モテキ」を絶賛したり、結構元気なのだ。やはりこの2-3年で急激に老け込んだのか、と思った。

ただ、相変らず不用意なポリティカルな発言が多い。(いつごろから、こうなったのか)気持ちは解らないではないが、政治家を実名で繰り返し批判するのは、どうにも「粋」じゃないし、正直かなり短絡な印象評価が多いと思う。

さすがに筒井はこういうことをしない、と改めて思う。傑作「極東セレナーゼ」は、新聞連載時にあのチェルノブイリに遭遇してしまい、それを見事に作品に消化していた気がするのだが。(正直、記憶はあいまいなのだが)

 

●7123 怪 談   (ホラー)  柳 広司  (講談文) ☆☆☆★

 

怪談

怪談

 

 

冒頭に小泉八雲に献辞があるように、ハーンの「怪談」へのトリビュート作品だけど正直言って、ジュブナイルで「耳なし芳一」を読んだくらいしかハーンを知らないので、どのくらい原典を意識しているのか全然解らない。

最初の「雪おんな」からラストの「耳なし芳一」までの6編、ホラーというよりかなりミステリ色の強い内容になっていて、そういう意味では好みなのだが、残念ながら駄作もない代わり、この一作と言いたい傑作もない。(「鏡と鐘」なんて、とんでもなく理屈っぽくて、とてもホラーテイストではない)

まあ、文庫で出したのは正解といえる。「ナイト&シャドー」もイマイチだったし、柳も難しいところに来てしまったか?年内にジョーカーシリーズの新刊がでるようなので、それに期待しよう。 

 

●7124 ハリークバート事件(ミステリ)ジェエル・ディケール(東京創)☆☆☆☆

 

ハリー・クバート事件 (上下合本版) (創元推理文庫)

ハリー・クバート事件 (上下合本版) (創元推理文庫)

 

 

これまた海外ミステリ(スイス人がフランス語で書いた、米国が舞台のミステリ)の収穫。傑作だ。登場人物はそれほどいないのだが、ストーリーは複雑なので、出版社のサイトを引用してみる。

「デビュー作が大ヒットして一躍ベストセラー作家となった新人マーカスは第二作の執筆に行き詰まっていた。そんな時、頼りにしていた大学の恩師で国民的作家のハリー・クバートが、少女殺害事件の容疑者となる。33年前に失踪した美少女ノラの白骨死体が彼の家の庭から発見されたのだ!マーカスは、師の無実を証明すべく、事件について調べ始める。全ヨーロッパで200万部のメガセラーとなったスイス人作家ディケールのミステリ登場」

ううん、これじゃ本書の魅力の半分も伝えられない。本書は、ハリーが書いた「悪の起源」、マーカスが事件と同時進行で描くノンフィクション、そしてそれらを全部包括するディケールが描く本書、と三重の入れ子構造になっており、時制もかなり複雑なんだけれど、それが全く苦にならず一気に読める。

これはもう、訳者の橘明美の手柄と言うしかない。素晴らしい仕事だ。ただし、実は上巻はちょっとかったるい恋愛小説的な冗長な部分がかなりあり、投げ出しかけた。しかし、下巻に入って、既に死んでいるのに圧倒的な存在感で魅了するノラの姿が二転三転し、物語はどんでん返しの連続となる。

まあ、ひとつひとつはひっくり返るほどではないのだが、ここまでやられると頭がクラクラしてくる。というわけで、読了後はぼうっとしてしまい、今年度ベストと叫んでしまったのだが、今少し冷静になって評価すると、やはり前半の瑕疵や、ちょっとやりすぎのプロット若書きを感じてしまい、この採点となった。

もちろん、その若書きの荒っぽさが本書の魅力でもあるのだが。あ、それから著者のユーモアも見逃せない。何度も挟まれるマーカスと母親の長電話は、スラップスティック・コメディーであり大爆笑。

 

 ●7125 化石少女 (ミステリ) 麻耶雄嵩 (徳間書) ☆☆☆

 

化石少女 (文芸書)

化石少女 (文芸書)

 

 

巷では「さよなら神様」の評判が高いが(前作があんまりだったので、出遅れてしまった)本書も、良く言えば著者らしい、悪く言えば読者を選ぶ、ひねくれたミステリである。

まあ、そのひねくれ、というかぶっ飛び方が、「隻眼の少女」や「メルカトルかく語りき」では僕に合ったのに、本書や「貴族探偵」では合わない。何か探偵のあり方に本質課題があるような気がするが、まあどうでもいいか。

本書は探偵とワトソン役が倒錯的?に逆転しており、さらに探偵の推理がワトソン以外の誰にも語られないどころが、現実の事件と全然絡まない、というたぶんこの文章を読んだだけではイメージもできないだろう、究極のアンチミステリなのだ。

で、よくこんなこと考えるな、というか書くよな、とは感心するが、それが面白いかどうかは別の話。ラストで麻耶らしくどんでん返しを仕掛けてくるが、もっと大がかりにやれたような気がする。

というわけで、本書を評価するマニアがいてもいいけど、個人的にはこの評価で、普通のミステリファンには薦めません。

 

 ●7126 空飛ぶタイヤ (企業小説) 池井戸潤 (実業日) ☆☆☆☆★

 

空飛ぶタイヤ

空飛ぶタイヤ

 

 

下町ロケット」があまりに面白かったので、図書館で借りては返すを繰り返していた本書も読んでみた。実は図書館が8Fにある浦和パルコの2Fのソファーに座ってつい本書を読みだしたら、何とやめられなくなって、2時間半座り続けて読了し、深い満足のため息をついて、スマホで「鉄の骨」も予約した。

正直、本書も三菱自動車をモデルにした、リコール隠し告発本、ということで、読む前から内容が分かった気がしていたが、これまたあやまらなければならない。

確かに内容はそうなのだが、まずは物語が、ホープ(三菱)自動車、赤松運送、銀行、デイーラー、警察、被害者、週刊誌記者、と複数の立場、視点で、見事に描かれていて、太くて立体的で圧倒的にリアルなのだ。(あ、赤松の息子の学校の件も、うまく本筋と絡んでいて感心した)

そして、これは「下町」も同じなのだが、今回も一応、ホープ自動車(狩野)=悪、赤松運送=善、という明確な勧善懲悪の物語構造ではあるのだが、その間に上から下まで、さまざまな立場・色合の人々を配置し、そしてそれが次々と色を変えていく。(例えば、警察は黒から白に、週刊誌は白から黒に、あっという間に色を変える)これが、素晴らしい群集劇の面白さを生み出しているのだ。

そして、圧倒的に熱くリアルなのだ。単純な勧善懲悪を突き抜けた、見事なカタルシスがここにはある。まあ、よくここまでモデルが分かるように描いたなあ(そういえば「下町」にも、三菱重工をモデルとした悪役?が登場した。本人は三菱銀行出身なのに?)と感心する。

ただ、結局最後の決め手が、あのパソコンというのは、ちょっと弱い気もするが、ミステリじゃないので、良しとしよう。しかし、なんで半沢が始まる前に読みかけた「俺たちバブル入行組」は、途中で投げ出してしまったのかな。

 

 ●7127 スタープレイヤー (SF) 恒川光太郎 (角川書) ☆☆☆☆

 

スタープレイヤー (単行本)

スタープレイヤー (単行本)

 

 

「金色機械」は、著者のイメージを全く変える、伝奇SFの傑作であった。(「天冥の標」という別格シリーズを除けば、今のところ今年度のベストSF)そして、本書も、またまた著者のイメージをいい意味で覆す傑作だ。

平凡な女性が街で籤にあたって「スタープレイヤー」となる。「スタープレイヤー」は10個の☆を持っていて、☆ひとつにつき、何でも望みをかなえられるのだ。ただし、その場所はこの地球ではない世界なのだが。という、一見単純な設定が生み出す、結構深くて複雑で、そして何より面白い(ある面残酷だが)ストーリーに感心してしまった。

西澤の描く特殊設定ミステリや貴志の描くRPG型SF、そこになぜか「旅のラゴス」のテーストを感じてしまった。さらには「アバタール・チューナー」のアイデンティティーの問題、そして究極は、神、世界、生きる、ということの本質まで考えさせてしまう、良質のエンタメである。

まあ「金色機械」ほどの格調がないのは仕方がないけど。ただ、両作品とも、ジャンル分けが難しく、各種ベストからは抜け落ちてしまいそうで、売上が心配だなあ。

 

●7128 服用禁止 (ミステリ) アントニー・バークリー (原書房) ☆☆☆★

 

服用禁止 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

服用禁止 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

 

 

個人的にはバークリーの最高傑作(アイルズ名義を除く)と思っている「トライアル&エラー」の次に書かれた作品、ということで、シェリンガムもチタウィックも出てこないが、何と読者への挑戦状がついているというので、少し期待して読み始めた。

あまり動きのない、一幕劇のような作品で、一見単純な人間関係の裏の複雑さや、毒殺における様々な工夫などは認めるが、正直意外性や論理という面ではそれほどでもない。

しかし、そこは希代の曲者バークリーのことなので、読者への挑戦という剛速球の後に、なんじゃこりゃ?というナックルボールを投げてきた。(こういうセンスは麻耶雄嵩に通じる、かな?)

まあ、短い作品なので、そこまで計算した一種のパロディとして評価する人がいてもいい。(探偵が謎を解き、犯人が自白しても、実際には何も起きない、というのは、本当に「化石少女」に近い。「妖異金瓶梅」にも近いかな?)

でも、個人的には本書を積極的に薦めたいとは思わないなあ。解説でバークリーが、常識人のブランドから蛇蝎のように嫌われていた、と書かれていて大爆笑。さもありなん?

 

 ●7129 鉄の骨 (企業小説) 池井戸潤 (講談社) ☆☆☆☆

 

鉄の骨

鉄の骨

 

 

本書も、ゼネコンの談合の話、と聞いていたので、あんまり触手が動かなかったのだが、こうなったら?読むしかない。で、今回も一気読み。ただし、「下町」「タイヤ」と比べて、ストーリーの構成はかなり違う。

二冊にあった、基本となる善悪の構造が、本書にはないのだ。すなわち、中堅ゼネコンマンが談合にかかわるのだが、談合=悪とという明確な構造が、本書には希薄なのである。もちろん談合を肯定しているわけでもないが、その本質を多面的に描くことで、バランス良く、リアルな物語となっている。

ただ、これまた前二冊とは違い(前二冊には全くなかった)主人公の恋愛、三角関係が、前半かなり大きくとりあげられ(後半は物語に絡んでくるが)これがあまりうまいとは言い難く、ちょっと物語の流れを淀ませてしまった気がする。

あと、後半の大逆転は、ミステリと言っても良い展開だが、正直言って意外性はない。というわけで、三冊の中では評価は一番低くなってしまうが、それでもこの分厚い小説を一気に読ませる筆力は健在であり、本書もまた一読するに値する傑作だとは思う。

 

 ●7130 連城三紀彦レジェンド 傑作ミステリー集 (ミステリ) 
      綾辻行人伊坂幸太郎小野不由美米澤穂信 編(講談文)☆☆☆☆

 

 

6編の傑作が収められているのだが、正直既読の作品が多く、連城初心者には良いがちょっと評価に困る内容。

ただし、冒頭の「依子の日記」は「変調二人羽織」に収録ということで、読んだはずなのに、記憶がほとんどない。まあ、連城らしい傑作だが記述トリックも含め、ちょっとやりすぎな気がする。

で、次が「眼の中の現場」で、これは収録作「紫の傷」は未読なのだが、内容にはなぜか覚えがある。ただ、これまたやりすぎの感じ。

で、編者が言う「桔梗の宿」「親愛なるエス君へ」「花衣の客」というクリーンアップの登場となり、この三作には文句がない。ただし、僕が最高傑作「戻り川心中」(花葬シリーズ)から一編選ぶなら、たぶん他の作品にすると思う。また、小野が言う、とあるパターンの嚆矢、というのは大阪圭吉「とむらい機関車」が受けるべき称号だと思う。

で、「エス」と「花衣」は確かにとんでもない傑作なのだが、これがどちらも「瓦斯灯」収録で読んだばかり。さらにどっちもかなりの変○ミステリ。まあ、これらが万人受けするかは良く解らないが、驚くことは間違いない。

で、唯一の未読作品であるラストの掌編「母の手紙」には、ひっくり返ってしまった。こんなとんでもないミステリ、やっぱり連城にしか書けない。この作品だけでも、再読した価値はあった。まあ、巻末の綾辻と伊坂の熱い対談は、一読の価値があるが。

 

●7131 ナオミとカナコ (ミステリ) 奥田英朗 (幻冬舎) ☆☆☆☆

 

ナオミとカナコ

ナオミとカナコ

 

 

OL版「OUT」と言おうか、あの「最悪」「邪魔」の頃の奥田が戻ってきた、という感じ。老舗百貨店の外商をやっているナオミと、結婚して専業主婦となったカナコは大学の同級生で親友。そのカナコの夫が実はDVで、ついに二人は協力してその夫を排除?しようとする。

正直、冒頭の外商の仕事がリアルで面白く、そこから一気に親友の夫をいくらDVだからと言って、いきなり排除?しようとするのは無茶すぎる。

ところが、その外商でナオミが出あった中国人の朱美社長との付き合いが、彼女をどんどん変えてしまい、ついには物語まで一気に走りだし、無茶が無茶でなくなってしまう(ように感じてしまう)リーダビリティーに脱帽。

そして、一見完璧に見えた排除計画が、実は素人丸出しの杜撰なものが偶然うまくいっただけ、と判明するあたりもうまい。

さらには夫の妹が、興信所を使って執拗に事件を暴こうとし、見当はずれの連続から、ついには真相に辿り着き、最後はターミネーターのように二人を追いかけるのも、怖くてうまい!ラストのカーチェイスは「ボニー&クライド」ではなく「テルマ&ルイーズ」か。

ただし、この終わり方は、これしかないような気もするし、結局これかい?という気もする。まあ、それでも最近どうもイマイチ合わなかった著者の作品を、ひさびさに楽しめることができた。タイプは違うけど「東京物語」以来かな。こんなに面白かったのは。

 

●7132 1964年のジャイアント馬場 (NF) 柳澤健 (双葉社)☆☆☆☆★

 

1964年のジャイアント馬場

1964年のジャイアント馬場

 

 

著者が週刊大衆にジャインアント馬場の連載をしていることは、松さんから聞いていたのだが、図書館で入手した600ページ近い分厚い本書を目にして、馬場に全く興味のない僕は途方に暮れてしまった。

しかし、冒頭に添えられた若いころの精悍な馬場の写真に続く、序章:力道山の後継者をパラパラと読んだだけで、そのスタイリッシュでハードボイルドな馬場像に驚愕し、一気に引き込まれた。著者はやはり凄い。プロレス界の沢木耕太郎である。

この膨大な物語を簡単に紹介することは不可能だが、僕個人としては、日本プロレスに関しては猪木や力道山の視点から描かれたものは、村松友視や門茂男を頂点として、80年代に腐るほど読んできた。

しかし、馬場の視点というのはほとんど無く、そして本書は普通数ページで描かれる、馬場の米国修行時代(いや、それはもはや修行ではなく、野茂やイチローに匹敵するサクセス・ストーリーなのだが)を徹底的に詳細に描くことで、全く新しい馬場の姿を描き出すことに成功した。

そして、その視点からわれわれが良く知る後年の馬場像を照射すれば、その像はまた新たな輝きを得て、立体的に立ち上がるのだ。しかも、それは必ずしも良いことばかりではなく、馬場が自らの成功体験に縛られるところや、結局トップとしての世代交代に失敗してしまうあたりも、リアルにきちんと描くことで、相変らずのバランスの良さを示す。

それでいて、読了後は僕も含め、まず殆どの人が、馬場に対するネガティブな印象を一新させ、その類まれなる全盛期(64年)をリアルに体感できなかったことを残念に思うのだ。

僕は、全日本関連は全く興味がなかったのだが、馬場だけでなく、天龍や三沢がなんで人気があったのか、やっとわかった。で、鶴田は徹底的に貶されているのだが、全員死んでしまっていることに愕然としてしまう。

ただ、ミルマスカラスが全くスルーされているのは、どういうことなんだろうか。いずれにしても、僕も(たぶん著者も)思い入れの無い馬場を、その取材力・構想力・筆力で、ここまで凄い作品に仕上げてしまう、著者の精密なる剛腕に脱帽である。プロレスの次は何を描いてくれるのだろうか。

 

●7133 ワナビー (フィクション) 日野 草 (角川書) ☆☆☆☆

 

ワナビー

ワナビー

 

 

さっそく、著者の野生時代フロンティア文学賞受賞作を読んだのだが、題材が題材なので、それほど期待せずに読んだのが良かったのか、面白くて一気読みだった。

とりあえず、著者は間違いなくうまい。処女作とは思えない文章力であり、ブログという題材から予測する、ラノベ風のタッチとは全く違う。もし、ラノベ風文体だと、主人公の枯神の誠実さを、ここまでポジティブかつリアルに描くことは難しかっただろう。

ドワンゴニコニコ動画)を想起させるネット上のゲームにおいて、主人公の枯神が次々勝利してカリスマ化していく、というとまるで少年ジャンプ黄金パターンのようだが、枯神の日常が正直かなり暗くて、うまくバランスがとれている。

ただ、最後の弟と元カノとの戦いのあたりは、どうにも「重力ピエロ」を思い起こしてしまい、リアリティーを感じられなかったのだが、その後のどんでん返しが、少なくとも僕には決まったので、良しとしたい。

しかし、本書の選考委員の解説は、池上永一山本文緒というコンビなのだが、結構文句をつけていて、それをほとんど感じなかった、ということは、受賞後かなり書き直したのだと思う。その証拠は、山本は本書の近親相姦の描き方をかなり批判しているのだが、本書にそんなシーンはでてこない。

しかし、たぶんここを直したんだな、というシーンはある。(成功かどうかは微妙だが、僕も生で出すよりはいいと感じた)ネットでは、山本が書かれていないことに文句を言っている、との批判があったが、こういう厚顔無恥がネットの嫌なところなんだよね。ちょっとは考えてから、批判してほしい。ただ、題名が受賞時の「枯神のイリンクス」の方が数倍いい、という意見には僕も同感。

 

●7134 異次元の館の殺人 (ミステリ) 芦辺 拓 (光文社) ☆☆☆★

 

異次元の館の殺人

異次元の館の殺人

 

 

量子力学によるパラレルワールドを舞台とした、「七回死んだ男」の「フラッシュフォワード版」という、凝ったミステリ。

冒頭にシュレーディンガーの猫が配置され、ヒロイン?が密室殺人の推理を間違えるたびに、別の世界に飛ばされ、そこでは間違った推理の根拠が修正され(無くなってしまい)、主要登場人物の名前も微妙に変わっている、という凝った趣向で笑わせてくれるが、如何せんトリックそのもの(5-6回繰り返される)はイマイチの出来。

さらに、こちらは量子力学ミステリとしては、あのイーガンの「宇宙消失」を読んでいるし、傑作「万物理論」や「カムナビ」も同じテーマだ。本書は結構年末ベストで健闘しているが、SFマニアからは失笑が漏れてくるんじゃないだろうか?とりあえず、大森の書評はないのかな。

 

 ●7135 波止場浪漫 (時代小説) 諸田玲子 (日経新) ☆☆☆

 

波止場浪漫 (上)

波止場浪漫 (上)

 

 

 

波止場浪漫 (下)

波止場浪漫 (下)

 

 

傑作「奸婦にあらず」と同じく、日経新聞での連載。さらに、著者は確か清水次郎長と遠い血縁ということもあって、初期には大政や小政を描いたこともあり、僕も何冊か読み、良くはできていたが、昨今の作品に比べスケールが小さいのは否めなかった。

で、ひさびさに次郎長の娘、波止場のおけんを描く、というので結構期待したのだが残念ながら、叶わなかった。正直言って、山本けんと植木重敏という実在の人物の時を超えた愛(不倫)を描いているのだが、所詮無名の二人なので、この淡々とした展開にしては、物語が長すぎるのだ。

まあ、新聞連載だから仕方がないのだろうが、この題材は、途中何度も引用される樋口一葉や著者の傑作恋愛短編集「花見ぬひまの」の諸作のように、短く切れ味良く、余韻を残して描くべきだった。作戦ミスとしか言いようがない。肩に力が入りすぎたのだろうか。

今年は諸田・松井・宇江佐の御三家が個人的には不調で、伊東潤の一人勝ちだった。だのにまた直木賞候補からはずれてしまい、その候補者選考に憤りを感じてしまう。

 

 ●7136 天冥の標Ⅷジャイアント・アーク2(SF)小川一水(早川文)☆☆☆☆☆

 

 

何とか年内にⅧを読み終えることができた。残るは2巻。このシリーズに関しては、もはや別格ということで、何も書く気になれない。とにかく、凄すぎるのだ。ここにきて、過去の八作が見事に繋がりながらも、まだその先のゴールが見えない。本書には3つのパーツがある。

まずは、アクリラとカヨ(その正体に驚愕)の戦いであり、これはとんでもないことになっている。

そして、メインストーリーは臨時大統領となったエランカの、ラバーズやカンミアと共同した、フェロシアンとの戦いである。ここは、ついに人類側がフェロシアンにある作戦で一矢を報い、まるで「進撃の巨人」の女型巨人の捕獲シーンを思わせる。まあ、本書にリヴァイは出てこないのだが。

そして、さらには、セアキ、イサリ、ラゴスら七人は、この世界の天井を目指す。そこであの二人組が登場するのだが、その正体はまだわからないが、とんでもない能力が明らかになる。(いったい、彼らは何者なのだ?)

というわけで、読了して思うのは本書の魅力の本質である。それは、人々が暮らしてきた世界が、一瞬のうちに偽物であったことが解ってしまう強烈なインパクトにある。しかし、こういう現実崩壊感はディックを始め、ある種のSFでは珍しいことではない。

しかし、本書は単なる現実崩壊ではなく、長々と伏線を張って、その偽物の世界の成り立ちを圧倒的なディーティールで描き出すのだ。架空の世界を描いたSF(例えばプリーストの傑作「逆転世界」)や山本弘の傑作「神は沈黙せず」のようなはりぼて宇宙?を描いたSFも、いくらでもあるが、ここまで壮大かつ緻密な偽の世界、伽藍を描いたSFは初めてだ。

だって、それまでに文庫本10冊以上費やしているんだから。たぶん、本書が完結した時、僕のSFオールタイムベストは間違いなく本書となるだろう。

 

●7137 マスカレード・イブ (ミステリ) 東野圭吾 (集英文) ☆☆☆★

 

マスカレード・イブ (集英社文庫)

マスカレード・イブ (集英社文庫)

 

 

今年は図書館の閉まる年末年始用に、結構自腹で本を買い込んだんだけど、その第一弾。「マスカレード・ホテル」のコンビの前日譚ということで、尚美が主役の短編が二編、新田が主役の短編が間に挟まり、最後の新田が主役の中編「マスカレード・イブ」で二人はニアミス(本人たちは気づかない)を起こす、という考えらえた構成。

このあと「マスカレード・ホテル」に突入すれば、それは至福の読書が経験できる。きっと著者は、プロレスの抗争のシナリオを書けば、抜群なのではないか?などと柳澤の影響で考えてしまった。ただし、ミステリとして見ると、その出来は微妙。

良く考えているし、悪くはないのだが、かと言って傑作とも言い難い。たぶん、かつての馳星周だったら、ケッと言ってしまいそうな、いわゆる昭和の中間小説的テースト満載の作品たちで、これを職人の熟練の技と言い切る自信はさすがにない。

それぞれの作品が、傑作と定型の中間あたりにうまく落としていることは確かなのだが、勝負作のラストの「イブ」のトリックに、○○○人を持ってきたのは、ちょっと期待外れ。来年は「容疑者X」並みの大作、傑作を期待しています。うまいのは分かってるから。

 

●7138 ナミヤ雑貨店の奇蹟 (ミステリ) 東野圭吾 (角川文) ☆☆☆

 

ナミヤ雑貨店の奇蹟 (角川文庫)
 

 

続いて東野本。まあ、評判はいいようだし、決して駄作とは言わない。舞台は今度こそ完全に昭和で、まるで朱川のアカシア商店街。でも、こんな安易かつ良く解らないタイムトラベル設定を使われると、ミステリファンとしてSFに申し訳なくなる。

四つのストーリーがあり(出来不出来あり)お約束通り最後で繋がるのだが、魚屋の息子の話がまあ面白かったので、ここに力をいれれば良かったのに。

冒頭のフェンシングの話とラストのIT経営者の話はイマイチ。まあ、この話を読んで、泣ける人がいてもいいけど(何度も言うが駄作ではない)やっぱ自腹で買うと評価は厳しくなってしまうなあ。

 

 ●7139 その女アレックス(ミステリ)ピエール・ルメートル(文春文)☆☆☆☆

 

その女アレックス (文春文庫)

その女アレックス (文春文庫)

 

 

これまた、何も予備知識なしに読めば単純に面白かった、となったんだろうけど、何せ年末各種ベスト六冠!というわけで、そこまでの作品か?と思わざるを得ない。(自腹だし)

冒頭の誘拐監禁事件が、がらっと姿を変えるのはうまいが、厳しく言えばバリンジャーら先達のプロット・トリックの応用。僕はそこよりも、プロローグのウィッグのシーンがうまいと感じた。(まるで、トリフォーの「黒衣の花嫁」)

さらに、ラストも何回かひっくり返るが、ここは想定内。(というか、またこれかよ)まあ、最後の最後、「首つり判事」になるのには驚いた(あきれた)が。本書は傑作だし、読むべきだと思う。(ちょっとえぐいけど)

ただし、年間ベストというのは、過大評価。今年は他に良い作品がかなりあったはず。ただ、本書の訳者は「ハリークバート」の橘明美。本当に良い仕事してます。

本屋でジャプリゾの「シンデレラの罠」が山積みされていた。これは、フランスミステリがくるのかな。そういえば、マンシェットも復活したし。個人的には、ミッシェル・ルブランが好きなんだけど。

 

 ●7140 死呪の島 (ホラー) 雪富千晶紀 (角川書) ☆☆☆★

 

死呪の島

死呪の島

 

 

第21回ホラー大賞受賞作。こちらは、同じ角川でも有力作家多数輩出。何より、綾辻、宮部、貴志、という選考委員が豪華。ただし、内容は努力賞止まりかな。

冒頭から3つばかりホラーストーリーがオムニバスのように続くのだが、ここは読ませる。特に綾辻が言うように、最初の「顔取り」の話は良く出来ていて、これだけでもホラー小説が一冊書けるんじゃないか、と感じた。「サメ」や「ヨット」の話も悪くないし、学生たちの描き方に「アナザー」のテーストも感じた。(解ってしまったけど、犯人?がアナザー的)

ただし、ラストがだめ。選評や書評には詰め込みすぎ、というのが多いが、僕は単純にカテゴリーエラーだと思う。ここは、純和風で押し通してほしかった。ただ、才能は感じるので、次作に期待したい。(これも自腹なんだけど、なぜか腹は立たなかった)

 

●7141  戻り川心中 (ミステリ) 連城三紀彦 (講談文) ☆☆☆☆★
 
戻り川心中 (講談社文庫)

戻り川心中 (講談社文庫)

 

 

図書館ですぐ手に入ったのは、86年の講談社文庫版で、単行本と同じ表紙、内容。正直言って、この濃密(悪く言えばこなれていない)な文章を古くて細かい文字で読むのは苦痛だったが、やはりやめられなかった。

再読して収録五編を評価すると、なぜか僕の記憶の中ではベストと思っていた「桐の柩」が、あれ!こんな作品だった?という感じで最下位となった。やはり記憶は当てにならないなあ。

一方、初読時には一番浮いてしまっているように感じた表題作が、本書を締めくくるにはこれしかないという作品に感じた。

そして、ベストは「白蓮の寺」。最初はちょっと長いな、と感じたのだが、この真相には驚愕した。(さすがに、読了後は思いだしたが、最初はすっかり忘れていた)これ程強烈な殺害動機がありえるだろうか。「古畑任三郎」で堺正章演じる歌舞伎役者の犯人が、殺害後お茶漬けを食べた理由以来の驚きだ。(なんのこっちゃ)

というわけで、「白蓮の寺」「桔梗の宿」「藤の香」「戻り川心中」「桐の柩」の順番。しかし、最近の文庫では花葬シリーズの残り三作も収録したバージョンが普通らしく、失敗したかなあ。「夕荻心中」で三作とも読んではいるんだけれど、やっぱりシリーズ全作通しで再読したかった。

 

●7142 隠蔽捜査5,5 自覚 (ミステリ) 今野 敏 (新潮社) ☆☆☆☆

 

自覚―隠蔽捜査5.5―

自覚―隠蔽捜査5.5―

 

 

隠蔽捜査シリーズは、もちろん主人公、竜崎伸也のエキセントリックな性格・造型が売りであり、そしてそれは長編より短編に向いているのではないか、と思っている。(長編だと、どうにもその性格と物語に齟齬が出やすい気がする)

というわけで、本書は「初陣3,5」に続く、シリーズ二作目の短編集で、今回も読ませる。まあ、裏の裏は表、という感じで、変人竜崎が実は一番まとも、というパターンが繰り返されるのだが、短編だとそれが苦にならない。というか、快感になってくる。

ただ、前作に比べて何か足りなく感じたのだが、最後の「送検」で気づいた。「初陣」の主役ともいうべき伊丹が、本書では登場しないのだ。で、なぜか「送検」でやっと登場するのだが、あまり存在感がない。まあ、それでも十分面白かったのだが。

 

●7143 新・戦争論 (国際政治) 池上彰佐藤優 (文春新) ☆☆☆☆★

 

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)

 

 

池上の著作にはいつも物足りなさを感じていたのだが(たぶん、TVでの彼の武器である解り易さが、活字では逆に作用していた気がする)今回、佐藤という絶好の相手・ライバルを得て、本書は新書としては最高のレベルの知識と解り易さを兼ね備えた傑作となった。

佐藤としても、手嶋との対談で繰り返される、インテリジェンスとラスプーチンがないせいか?池上へのリスペクトを感じさせながらも、その実力の違いを見せつける良い対談となったと思う。

語られる内容は、イスラム国、北朝鮮ウクライナ、中国、そしてアメリカと多岐にわたるが、目から鱗、というよりも、いかに僕自身の世界認識が表層的であったのか、を思い知らされた。

そう結局僕はまだ二次元での天動説的思考の枠から、逃れられていないのだ。エボラ対策に欧米が本気にならない裏には、白人の人口爆発(アフリカ&中国)への恐れがある。ナショナリズムというのは、教育や訓練を受けていない人間が社会的に上昇するためには、とてもいい手段である。

ウクライナというのは、ロシアから見て、田舎とか地方とかいう意味です。ロシア人の感覚としては、モスクワを中心として、西に行けば行くほど貧しくなる。シリアでは、少数派であるアラウィ派(英国がシリアを独立させるとき、被差別民であったアラウィ派のアサドに政権を持たせた。何ということだ)が、多数のスンニ派住民を抑圧してきた。

サウジアラビアとは「サウド家の土地だよ」という意味。長くて引用できないが、佐藤の師匠であるモサドの長官だったハレヴィの、ハマスとの交渉の凄さには、圧倒されるしかない。

拉致問題に対する米国の本音にも、口あんぐり。尖閣諸島を中国は台湾省のもの、といっているというのも、こんな大事なことをなぜ、マスコミは報道しないのかと思うし、(尖閣を台湾と沖縄の問題とすべき、という指摘に驚愕)中国にとって、尖閣よりもウィグル問題の方がよほど大事。

オバマ政権にとって最大の課題は、黒人差別問題。今の日本は、ある意味で、民主主義が進みすぎて息が詰まりそうになっている。民主主義の危機ではなく、自由主義の危機なのです。

等々、アトランダムに付箋を付けた部分の一部を書き出したが、もはやこちらの頭はパンク寸前。で、これらの発言はほぼ佐藤のものであり、米国の話になると池上がかなり頑張るのが微笑ましい。

前から感じていたが、佐藤の底の知れない人間離れした博識(まるで、政治歴史宗教における荒俣宏)が、最強レベルの常識人である池上によって、見事に炙り出された。もはや、ため息すらつけない。

最後は佐藤の以下の言葉で締めくくろう。「これからの世界を生き抜くために、個人としては、嫌な時代を嫌な時代だと認識できる耐性を身につける必要がある。そのために、通時性においては、歴史を知り、共時性においては、国際情勢を知ることである」嗚呼、フランシス・フクヤマは、何と能天気だったのかを改めて思う。

 

●7144 緑衣の女(ミステリ)アーナルデュル・インドリダソン(東京創)☆☆☆★
 
緑衣の女

緑衣の女

 

 

アイスランド作家による「湿地」に続くシリーズ(翻訳)第二弾で、ガラスの鍵賞を連続受賞し、さらには本書でCWAゴールドダガー賞も受賞。人口30万の小国の世界的作家だ。そして、僕も著者の実力を認めるにはやぶさかではない。

ただ、「湿地」に続いて、一個の作品として傑作とは素直に言えないのだ。その理由は二つあるのだが、実はそれこそが著者の特長であり、読者によってはそこがいいという人も大勢いるかもしれない。だから、それは好みの問題であり、作品の質ではないことを先に明言しよう。

まず第一の理由は、訳者もあとがきで書いている、そのDV描写の執拗なまでの激しさである。そして、これまたあとがきで著者が訳者の質問に答えているように、これは完全に確信犯なのだ。著者がDVを描くことは、ヴァクスが幼児虐待を描くことと相似なのである。

しかし、一個のエンターテインメント作品と観たとき、やはりこの描写は僕の許容範囲を超えている。毎回、こういう描写が繰り返されるのなら、次は遠慮したい気がする。そして、二つ目は主人公であるエーレンデュルと娘エヴァ=リンドとのあんまりな関係である。

これには前作でも驚いたが、今回は(ひょっとしたら次作で救いがあるのかもしれないが)さらに激しく、これまた僕の許容範囲を超えてしまっている。

というわけで、ミステリ的趣向は素晴らしいとまでは言えないが、アーロン・エルキンス的な骨の発掘や、最近はやりの?大戦秘話が絡んでくるあたりはなかなか面白いのだが、上記の二点が全体のバランスを大きく崩している。

マルティン・ペックはこうではなかった、と思うのだけれど。あ、それから、マンケルの訳者である柳沢由美子は、本シリーズでもいい仕事をしている。欧州の非英語圏における翻訳者(ほとんどが女性)の質の向上が、今の北欧を中心とした欧州ミステリの隆盛を支えていることが、実感として良く解った一年だった。

 

●7145 波の音が消えるまで (フィクション) 沢木耕太郎 (新潮社) ☆☆☆

 

波の音が消えるまで 上巻

波の音が消えるまで 上巻

 

 

 

波の音が消えるまで 下巻

波の音が消えるまで 下巻

 

 

沢木の最高傑作としては、常に「一瞬の夏」を挙げてきたが、もちろん「深夜特急」が嫌いなわけではない。とくに、読了後20年以上が過ぎても忘れられないシーンが二つある。ひとつは、沢木が砂漠の壊れたTVで、アリ対フォアマンのキンシャサの戦いを見る場面。そして、もうひとつは沢木がマカオで博打(バカラ)に溺れていくくだりだ。

で、沢木ファンなら本書のあらすじを聞けば、ついにあのシーンを小説にしたのか、と予想がつき、期待は高まる。しかし、一方では僕は希代の賭博小説嫌いである。実際、麻雀は社会人になってから全くやらないし、パチンコも人生で一回しかやったことがない。競輪競馬に至っては馬券を買ったこともない。

そして、あの「麻雀放浪記」も一巻で、「マルドゥック・スクランブル」も「圧縮」でリタイア、という体たらく。というわけで、またも北上オヤジが大絶賛しており、そういう意味では、どうかなあ?とおっかなびっくり。

で、結論は残念ながら後者。やっぱり、僕に賭博小説は合わない。たぶん好事家にはたまらないだろう、バカラのシーンが全然ピンとこないのだ。確か北上が「バカラでは、強く賭けられなければ、勝てないんだ」というセリフに痺れていたが、そんなもの賭博以外もみんなそうじゃないか、と僕は思ってしまうのである。

さらに言えば、NFと違い、小説だと沢木の文体は過度にスタイリッシュに感じてしまう。まあ、とにかく今回はあまりにも長すぎた。

 

●7146 特捜部Q Pからのメッセージ(ミステリ) ユッシ・エーズラ・オールスン (HPM) ☆☆☆☆

 

特捜部Q ―Pからのメッセージ― (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

特捜部Q ―Pからのメッセージ― (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 

 

デンマークのミステリのシリーズ第三作で、ガラスの鍵賞受賞作。このシリーズは第一作「檻の中の女」は、キャラクター造形のうまさ(特にアサドの存在感)で読ませたが、ミステリとしてはやや単調だった。

そして、第二作「キジ殺し」は、そのテーマが個人的に非常に嫌で、途中でリタイアしてしまった。(若竹七海に同じテーマの作品があって、読んだところだった)

で、その後はスルーしていたのだが、箕浦さんから第三作以降は傑作と聞き、調べてみると毎年コンスタントに上梓され、文庫化も順調に進んでいる。シリーズものの宿命か、年末ベストではそんなに評価されないようだが。

今回もキャラクター造形は相変らずうまい。(アサド以上にローセとユアサの双子が笑わせる)確かにミステリとしても、時間、空間的にスケールを増しており傑作と言える。誘拐のやり方や犯人の造型、宗教の使い方、等々には工夫が感じられる。

ただ、今年はあまりにも多くの北欧、欧州ミステリを読んできたためか、既視感が結構強かった。DV、幼児虐待、誘拐等々。(大戦秘話は今回はなかったが)それと、結論から言うと長すぎる。

モジュラー型として、サイドストーリーである火事に関しては、アサドの優秀さを描きたかったんだろうが、必要ない気がする。次作も評価が高いし、少し短めなのでもう一作読んで付き合い方を考えよう。

 

●7147 ナショナリズムの現在<ネトウヨ>化する日本と東アジアの未来(思想哲学)
     萱野稔人小林よしのり・朴順梨・與那覇潤宇野常寛(朝日新)☆☆☆☆

 

 

表題の今年2月に行われたシンポジウムの加筆再録に、その前後に行われた二つの対談、「国家とは何か」を問い直す、萱野×宇野、解釈改憲と「戦後」の終わり、與那覇×宇野、を収録したもの。

正直こんな年末押し詰まった時期(今日は31日)に、こんな火傷しそうなポリティカルな本を読んで、感想を書きたいとは思わなかった。

しかし、浦和パルコ5Fの紀伊国屋の棚で本書を手に取って(まずは、このテーマに関して、僕が今一番シンパシーを感じる宇野がどんなスタンスなのか確認したかった)一気に引き込まれ、立ち読みで読み切ろうか、とも考えたのだが、だんだん内容がハードになり、やっぱり購入して自宅で一気に読んだ。

まず、感心するのは対談者の出自や立場がかなり違うのに、きちんとした議論が成立していること。TVでの、一回小学生からやり直せ!と言いたくなるような、自分勝手な議論にも、書籍・雑誌における、仲間内のうちわぼめ&楽屋落ち対談にも、へきえきしてきた僕にとって、ひさびさに心をぐっとつかまれる対談であった。

やはり宇野は田原とは違うし、敢えて書かないが、その問題意識には深く共鳴する。ただし、これらの対談は現状整理にすぎないのも事実であって、ここから宇野がほのめかす、具体的な対策への道のりは、残念ながら果てしなく遠い。

その試みをリスペクトはするが、たぶん東と同じく、僕は今のネット空間の言説には否定的にならざるを得ない。悪貨は良貨を駆逐するは真実であった。というわけで、少し考えたくらいで結論は出ないので、気に入った、気になったところを少しアトランダムに。

「町内で話される差別の言葉は『誰が言っていたか』がわかってしまうから、簡単には言えないわけだね。だけどネットが出てきて、言いたい放題に言える状態になってしまった。そこでは全く責任が問われない。

(中略)いじめだって何だってそうだけれど、そもそも『人を差別したい』という感覚が人間には強くあって、それが現在ではナショナリズムに結びついてしまっている」(小林)

「小林さんは「物語を語れ」というフレーズを繰り返してきて、当時の宮台真司さんや宮崎哲弥さんのような、いわゆるポストモダン派(「大きな物語」の否定)と論争していました。(中略)彼らが言ったように今は「物語=歴史」が機能しなくなって、排外的なナショナリズムネトウヨというものが蔓延している」(宇野)

「例えば「敵を必要としないナショナリズム」を提示して、そこに感染した人々が集まって何かやる」(宇野)

国際連合連合国は英語にすると同じ United Nation 」(萱野)「日本の論壇やアカデミズでは、自分の立ち位置とか戦略を過剰に気にしますよね。しかし、これは僕から言わせればサエない人間の単なる自意識過剰でしかありません(宮台のこと?)」(萱野)

「1960年代、先進国のあちこちで学生運動がおこりました。しかしその中で70年代に極左テロまで過激化したのは、イタリア、ドイツ、そして日本(という敗戦国)です」来年はこの問題とイスラム国に関して、もっと勉強してみようと思う。それは正に「通時性においては、歴史を知り、共時性においては、国際情勢を知ることである」

とりあえず、萱野という若手哲学者が非常に気になったので、読み込んでみたいと思う。(あ、今アマゾンの書評を確認したら、☆一個が四人、☆五個が一人いるのだが、五個も含めて良く解らない文章で、貶しまくっている。暗澹たる気分になってしまった)

 

 ●7148 養鶏場の殺人/火口箱(ミステリ)ミネット・ウォルターズ(創元文)☆☆☆☆

 

 

今年僕が一番うれしかったことは、ここ数年悩まされていた翻訳ミステリ恐怖症をほぼ完治させたことだ。そのきっかけは「秘密」の青木純子氏の名訳であった。(しかし、未だにアマゾンに書評が一個しかないことに驚愕)

その後、フィンランドアイスランドスウェーデン、ドイツ、スイス、イタリア、フランス、等々非英語国のミステリをたぶん英語翻訳を通さずに、女性訳者たちが翻訳してくれた作品によって、僕の恐怖症は治癒された気がする。届くわけはないが、その素晴らしい仕事に、ありがとうと言いたい。

そして、最後を締めるには当然本家の英国が不可欠、ということで本書を紀伊国屋に買いに行ったのである。

「氷の家」で注目を浴び、「女彫刻家」でブレイクしたウォルターズは、緻密、複雑、長い、いじわる、といった印象で、凄い作家ではあるが、最近はフォローしていなかった。(とにかく、PDジェイムズまではいかないが、読むのに時間がかかる印象。そもそも僕は「女彫刻家」が良く解っていないのだ)

しかし、本書は題名からわかるが、中編を二冊収めたもので、ポイントは読みやすさにある、とのことで、安心して読みだした。実は収録順を無視して、ミステリとして良く出来ていると言われる「火口箱」から読みだしたのだが、これが読みづらい。

時制が複雑なこともあるが、登場人物が多いのに、中編ということで人物が描けてなく、一覧表もなくて誰が今しゃべっているのか、人間関係を確認するのに往生してしまった。

しかし、ミステリとしては、さすがの出来。犯人と被害者像の皮肉な逆転、登場人物たちの小さな悪意が積み重なって爆発するさま、過去に遡る凝ったプロット、等々著者らしいミステリであり、できればもっと書き込んで長編にすればいいのに、と感じた。

一方「養鶏場」の方はガラリと変わって、過去に起きた実際の事件を、著者がNFとして描き、最後に自らの推理を披露する、という「マリー・ロジェの謎」のような構成。読んでみると、今度は登場人物が数人しかなく、大事件は起きずに、約束されたカタストロフィーまで、淡々と見せかけて、一気に進むサスペンスは比類ない。

いやな女性の典型のヒロイン、凡庸の典型の夫を描く著者の筆は容赦ない。まさに、あとがきにあるようにこれは恋愛ホラーである。

で、最後の著者のノートは3ページにすぎないのだが、その推理より、ヒロインの心情に胸が破られ、犯人の行動に心が凍りつく。本書は、この二編がカップリングされている、というところがミソであった。

ウォルターズという作家の全く違う資質を見事に対称的に描くことで、ミステリというジャンルの豊饒性、多様性をも描き出している。たぶん、僕とは逆に読んだ方がいいと思う。