2014年 11月に読んだ本


 ●7099 池田屋乱刃 (歴史小説) 伊東 潤 (講談社) ☆☆☆☆

 

池田屋乱刃

池田屋乱刃

 

 

今一番旬の歴史小説家の新作は、得意の戦国時代ではなく幕末であった。ついに伊東が幕末を描いたか、と期待が高まる。冒頭の「二心なし」を読んで、ああこれは伊東版「新撰組血風録」なのか、と思った。

しかし、確かに新撰組の物語で良くも悪くも一番印象に残る古高俊太郎への土方の拷問?のシーンが通奏低音として流れているのだが、著者が描くのは新撰組ではなく、長州を中心とした池田屋にいた浪士たちの方なのだ。

さまざまな浪士が、さまざまな立場で、池田屋という蟻地獄に吸い込まれていく。まあ、それらの物語は面白いことは確かだが、期待が高すぎたせいか、やや物足りない。特に宮部鼎蔵に比べて、どうも吉田松陰が子供っぽく描かれているのが引っかかった。

その松陰を桂が嫉妬していて、仲が悪かったり(これはラストへの伏線だった)松陰の米国船への無断渡航の理由が史実と違っていたり(この理由もどこかで読んだ気もするが)色々工夫は感じるが、やはり戦国時代の関東と違い、司馬を始め多くの作家が既に描いてしまった幕末で新味を出すのは、なかなか難しい。

ただ、ラストの「英雄児」を読んで(しかも、この作品が実は最初に書かれたことに気づいて)作者の狙いが解ってきた。これは桂版「天切り松・闇語り」だったのだ。それも本家の逆バージョンの。

それに気づいて、もう一度全体を振り返ったら、最初はちょっと予定調和に感じた冒頭の「二心なし」の哀切さが身に染みた。やはり、本書は傑作だ。そろそろこのあたりで直木賞をとってほしい。この題材なら、誰でも良さが分かるだろう。

 

 ●7100 心憑かれて (ミステリ) マーガレット・ミラー (創元文) ☆☆☆

 

心憑かれて (創元推理文庫)

心憑かれて (創元推理文庫)

 

 

やはりミラーも人間だった。本書は駄作とまでは言わないが、いつものミラーの流麗さには程遠い、人間関係グチャグチャミステリである。(訳も良くない)

まあ、登場する女性は全員、あっちの世界に行ってしまった勘違いばかりで、男性は鬼畜野郎や純情バカばかり、というのはさすがに嫌になる。で、一番のスポットが○○○ン、ではねえ。

この時代に描いた著者の新しさを評価すべきだろうが、これでは楽しく読めない。せめて、この6掛けの長さにしてほしかった。珍しく無駄に長い。

 

 ●7101 処刑までの十章 (ミステリ) 連城三紀彦 (光文社) ☆☆☆

 

処刑までの十章

処刑までの十章

 

 

今のところ、著者の遺作ということだが、ネットでの不評が良くわかる、困った作品。本書は12年3月まで雑誌に連載され、著者は13年10月に逝去したのだが、闘病が長かったとも聞いているので、きちんと推敲されたのかは疑問が残る。

正直、最後の最後で著者の企み(あの「親愛なるエス君へ」を思わせる、著者らしい?トンデモトリック)は分かるのだが、如何せん伏線が回収されていないし、説得力が無く、何か途方に暮れてしまう。

まあ、こういう感覚の作品は著者には時々あるのだが(例えば「どこまでも殺されて」、「造花の蜜」も僕にはそうかな)今回はあまりに雑だし、何より長すぎる。処刑までの七章くらいにしてほしかったなあ。

 

 ●7102 死の扉 (ミステリ) レオ・ブルース (創元文) ☆☆☆

 

死の扉 (創元推理文庫) (1960年)

死の扉 (創元推理文庫) (1960年)

 

 

珍しく、レオ・ブルースの新作(いや新訳か)「ミンコット荘に死す」が簡単に手に入
ったので、その前にまずずっと気になっていた本書を読んでみた。レオ・ブルースと言
えば「三人の名探偵のための事件」で、これは傑作だったけど「陸橋殺人事件」や「殺
人混成曲」のような特殊な一発作品と思ってしまい、その後はフォローしていなかた。

しかし、本書は何とあの植草甚一があの『世界推理小説全集』に選んだあと、文庫化されず希少本となってしまっていたのを、12年に新訳されたのだと言う。これは気になるのだが、何せこの数年深刻な翻訳ミステリ恐怖症になっていた僕には、どうしても手が出なかった。

ところが、このところ恐怖症は見事に消えてしまい、早速本書を読みだした。で、読了後ううん、とうなってしまった。まあ、基本トリックはクリスティーでも使いそうだが、うまく描けば結構驚くかもしれない。

しかし、著者はあのビーフ巡査部長(フロスト、ドーバー、ダルジールと並ぶ存在?)から、なぜか新たにキャロリス・ディーンという学者探偵を本書で生み出したのだが、これが結構ゆるい。何か田舎の学校を舞台とした、ほのぼのユーモアシリーズ、という感じなのだ。

これではさすがに途中でイライラしてしまった。まあ、農家のおやじが、やたらミステリに詳しいところなどは、ニヤリなのだがねえ。

 

 ●7103 諸星大二郎 『暗黒神話』と古代史の旅 (企画)(平凡社) ☆☆☆☆
 
諸星大二郎: 『暗黒神話』と古代史の旅 (別冊太陽 太陽の地図帖 27)

諸星大二郎: 『暗黒神話』と古代史の旅 (別冊太陽 太陽の地図帖 27)

 

 

なぜか偶然こんなムック本を見つけてしまったのだが、結論から言うと、どうやら諸星が、『暗黒神話』に加筆して、完全版を上梓する、その記念というか番宣らしい。

諸星は当時は現場に行く余裕はなかった、というのだが、30年の時を超えても、絵と写真が見事に重なり、異世界にはまり込んだようで、クラクラしてしまう。

確かにジャンプ連載当時は、あまりに展開が急で、書き込み不足を感じたが、はてさて今更の書き直しが果たして成功するか?何よりタッチが変わっているだろうし。『デビルマン』のような悲惨なことにならないよう祈るが、まあ少し期待して待ってみよう。


 
●7104 夜また夜の深い夜 (ミステリ) 桐野夏生 (幻冬舎) ☆☆☆☆★

 

夜また夜の深い夜

夜また夜の深い夜

 

 

そのリーダービリティーに圧倒され、夜中だけでなく早朝も読みふけってしまった。ナ
ポリで人目を避けて暮らす母娘二人。娘は戸籍もなく、学校にも通えない。母親はなぜ
か、定期的に整形を繰り返し、もはや元の顔すら思い出せない。

そして、時々二人を訪ねてくるタナカとスズキ。物語は、その娘舞子が、タナカが持参した日本の雑誌に特集されていた、七海という女性に書き続ける手紙で構成されている。何という不可思議かつ魅力的な物語だろう。

舞子の母親への反発が生む予想外の行動から、まったく目が離せなくなる。そして、第二部に入りアナとエリスが登場し、物語はガラリと姿を変える。その母娘の正体は、ある程度予想はつくが、描かないでおこう。

ただ、謎の女性七海の正体は、知っていた方が楽しめると思う。彼女のモデルは間違いなく、重信房子の娘、メイである。どういう人物かは書かないが、今回松岡正剛がブログで彼女に関して詳しく論じてるのを読み、基本的にはネット社会に否定的な僕も、こういう読み方ができるのは本当に良い時代になったと感じてしまう。

後半の息も尽かさぬ意外な展開に、いったいどんな結末をつけるのか、思わず心配してしまったが、正直ラストはバタバタ急いでしまった感じが残った。(結局、殺人事件?の犯人は誰?)結末も、これでいいのか?という疑問が残る。

でも、ここまで描いてくれれば満足するしかない。女王様の実力を見せつけられる、圧倒的な面白さと日本人を超越してしまった世界観には、もはや脱帽するしかない。良くこんな物語を紡ぎだしたものだと、天才のクリエイティビティーに感嘆するのみ。

 

 ●7105 絶 叫 (ミステリ) 葉真中顕 (光文社) ☆☆☆☆★

 

絶叫

絶叫

 

 

ここにきて、連続ホームラン。デビュー作「ロストケア」の新人離れしたうまさに、思
わず垣根涼介のデビュー作「午前三時のルースター」を重ねてしまったが、やはり著者
は並みの新人ではなかった。第二作は、もはや全く文句のない、年間ベストを争う傑作
だ。

前作の介護に続いて、今回は貧困ビジネスということで、最初は結局薬丸亜流の社会派がまた一人増えたのか、と感じてしまったのだが、申し訳ない。著者は本物だ。

冒頭から何と二人称の語りで、ある平凡な田舎町の少女の誕生と成長が描かれ、更にカットバックで現在の孤独死と、貧困ビジネスが招いた殺人の合計3つのストーリーが平行に描かれる。

その平凡な女性が、不幸の連続でどんどん転落していくのが、申し訳ないけど、あまりにリアルで目が離せなくなる。(少女の母親の造型が出色)そして、その3つの物語は、その女性を中心に当然繋がり始める。

ああ、やっぱり著者はうまいなあと感心しながらも、このままだと「嫌われ松子」ミステリバージョンだなあ、と思っていたら、ラストで著者の仕掛けた罠が爆発。

まあ、良く考えれば解らないこともないのだが、周到に張り巡らされた伏線の美しさに感心してしまった。読了後、もう一度冒頭の二人称の語りを読めば、それこそネガとポジが入れ替わり世界が反転する。まさか、最初からこんな罠が仕掛けられているとは。素晴らしい。

 

●7016 シルバー・オクトパシー (ミステリ) 五條 瑛 (徳間書) ☆☆☆☆

 

シルバー・オクトパシー

シルバー・オクトパシー

 

 

「革命小説」をついに完結させた著者の新シリーズ。正直、かなり薄くて心配したのだが、まずまずの安定印で楽しめた。しかし、あらゆる賞を独り占めしている感のある、女王桐野に対して、五條の受賞歴が「スリーアゲーツ」の大藪賞のみ、というのはあまりに不公平に感じてしまう。(書評家時代に恨みでもかったのか?)

「革命小説」の完結に対して、せめて推理作家協会賞でも与えられなかったのか。(協会賞は、最近「ジェノサイド」「百年法」「金色機械」と非常に見識が高い)

さて、本書は文字通り8人の仕事人による五條版MIなのだが、五條の作品なので、ここは拉致被害者脱北者が絡んでくる。8人もメンバーがいるので、第一作だけではまだキャラクターが立っていないのと(一人立ちすぎな人がいるが)謎がそれほど意外でないのがやや物足りない。

ただしモジュラー型と見せかけて、さまざまな事件が結局つながってくるのは、定番とはいいながら名人芸だし、相変らず文体は安定していて、あっという間に読める。ということで、ちょっと甘めの採点。

 

 ●7107 女 王  (ミステリ) 連城三紀彦 (講談社) ☆☆☆★
 
女王

女王

 

 

さらに連城の遺作が続くのだが、あるサイトの連城に関する文章を読んで、考え込んで
しまった。本書は98年に連載が終了しており、何と16年間本にならなかったのだが
連城には、そういう小説がまだ数作残っているらしいのだ。

そして、その理由は90年代以降のミステリブーム(このミスブーム)に取り残された連城は、当時連載が終了しても、なかなか上梓されることがなかった、というのだ(確か、あの「造花の蜜」も11月に上梓されたので、各種ベストから漏れてしまい、マニア以外はあまり評判にならず、売れなかったんだろうなあと思う)

で、何と連城が逝去したことが、きっかけとなって、大蔵浚えが始まった、ということを、どう受け止めればいいのか。綾辻たちの、トリビュート短編集も出るようだし。

ただ、はっきり言わなければいけないのは連城の短編は、それこそ神の領域の作品が山ほどあるのだが、長編は(少なくとも僕には)いつも変にねじれてしまい、これはという作品が思い浮かばない。

「黄昏のベルリン」は傑作だが、連城の本質とはかなり離れた異色中の異色作だし。(冒険小説なのだ!)で、本書も部分部分は素晴らしいのだが、手放しでは評価できない。まあ、出版をためらう編集者の気持ちが良くわかる。

連城が邪馬台国の謎に挑む、というのは魅力的だが、内容が(いや、描き方が)歴史ミステリファンの頭上数百メートルを通り過ぎてしまう。アイディアはともかく、その論理展開が「ドグラマグラ」的に狂人の世界に突入してしまっているのだ。

まあ「暗黒神話」的な伝奇ミステリと考えることもできるが、正直これでは長すぎるし、くどすぎるのだ。プロットが下手すぎる。誤解を恐れずに言うなら、連城は最後まで、長編ミステリの書き方が良くわからなかったのではないだろうか。

 

●7108 ハンナ・アーレント (思想哲学) 矢野久美子 (中公新) ☆☆☆☆

 

 

アーレントと言えば、何と言っても(ユダヤ人なのに)あのハイデガーとの不倫、と(ユダヤ人なのに)アイヒマン裁判を批判(悪の凡庸さ)が思いだされ、「不服従を讃えて」も読んだことだし(正直イマイチだった)何となくわかった気がしていた。

しかし、最近あの、今でしょ!の林先生の夜中の番組で彼女を特集していて、良く考えたら彼女の思想の本質は全然解っていないことに気づき、引き込まれて食い入るように最後まで見てしまった。

林先生の言いたいことは、アレントの思想の核である、自分で考えることの重要性や、民族や集団より、個人(人間の複数性)の尊重、こそが、今このネット社会に蔓延する呪い(c内田樹)への対抗策である、ということで、これは心に沁みた。林先生、なかなかやるのである。

で、偶然箕浦さんの書評にも本書がとりあげられていて「なぜ今、アーレントなのか。人と人の間にある「砂漠」をオアシスに変えて行く営為、そのためのコミュニケーション行為の重要性、それをあきらめれば人々は全体主義=人間性を無化する暴力に屈服してしまうと説いたアーレントが、今問題にされることの意味は何だろう。」

これはもう、本屋で速攻購入して、一気に読んだ。正直、本書を読んでも(伝記に近い内容なので)その思想の本質は解りづらい。しかし、林先生が紹介してくれた言葉が、本書でも光を放っていて、そこは腹に落ちた気がする。

「彼女にとっての理解とは、あるカテゴリーを当てはめて納得するのではなく『注意深く直面し、抵抗すること』であった」「彼女は『ユダヤ人への愛がないのか』問われて『自分が愛するのは友人だけであって、何らかの集団を愛したことはない』と答えた」

「われわれは悪魔ではなくアイヒマンという『つまらない男』によってこの犯罪が遂行されたということに耐えなければならない」。

今から考えると、たぶん手塚治虫は「アドルフに告ぐ」で、このことを描こうとしたんだと思う。(今思いついたが、まさかつかこうへいは、そこまで考えて『熱海殺人事件』(つまらない殺人に耐えられない刑事)を書いたんじゃないだろうな?)

 

●7109 246 (NF) 沢木耕太郎 (スイッチ) ☆☆☆☆

 

246

246

 

 

なぜか、ずっと本書を読み忘れていたんだけれど、新刊情報に「246」とあって、図
書館に予約にいったら、文庫本で購入するか未定と言われてしまった。えっと驚いて書
架にいったら本書が既にきちんと並んでいた。

まあスイッチから出た本ということで、あまり広告もなく見逃したんだろう。しかも、本書は07年に上梓されているのだが、内容は「SWITCH」に86~7年に連載された沢木の日記なのだ。弱小資本?ではなかなか本にできなかった、ということだろうか。

しかし、読めばわかるが、これは最初から誰かに読まれることを意識した日記であり、私日記というのは自己矛盾だが、日記というよりひとつのNFの作品である。

もちろん、日常のディティールも面白いのだが、本書はちょうどあの「深夜特急」が世に出るタイミングであり、その他「馬車は走る」や、「キャパ」の翻訳、そしてあの「目撃者」(近藤紘一に涙)の出版までの裏話等々がたっぷり描かれていて、ファンにはたまらない内容となっている。

そして、何度も沢木が呻吟続けるあの「血の味」。結局上梓されるのには、14年の月日がかかってしまった。まあ、沢木が完璧主義者すぎるのだろうが、創造とはいかに大変、かつわがままな行為であることか。

というわけで、本書はファンとしては久々の渇を癒して楽しめたが、あるネットの所感のように、これだけ有名人と交流し、うまいものばかりを喰って(しかも30代)いい気なもんだ、という批判はしょうがないかなあ、とも思う。

特に、本書では毎回何と沢木と幼い娘のたわいない?やりとりが出てくるのだが、沢木が妻帯しており、子供までいる、という事実にかつて大ショックを受けた僕にとって、申し訳ないけどその部分は全てスルーさせてもらった。

深夜特急」や「一瞬の夏」に心ときめかせたものには、これは拷問に近いのだよ。勝手なもんだけれど。(沢木の本質は、ノンフィクション界の太宰治である、とつくづく感じる)

 

 ●7110 逆説の日本史21 幕末年代史編Ⅳ(歴史)井沢元彦小学館)☆☆☆☆★

 

 

副題:高杉晋作と維新回天の謎。ついに明治維新までたどり着いた。そして、本書の主
役は龍馬かと思ったら、副題の通り高杉晋作だったのだ。もともと僕は若い頃読んだ「世に棲む日々」の影響もあって、晋作が大好きであった。しかし、やはりその理解は破天荒な天才暴れ馬、というものだったのだが、井沢はその一般の高杉観を見事に覆してくれた。

幕末のそれこそ暴れ馬であった長州において、自らの本音をずっと隠し、徹底的にプラグマティズムを貫いた、深謀遠慮の天才として。しかし、くだらない場面では常にうまく逃げながら、最後の最後でたった一人立ち上がり功山寺挙兵を成功させた勝負師。(しかも、それすらきちんと勝算のある戦略を彼は考えていたのだ)

高杉の本は普通最後に、四境戦争の小倉城落城の炎を見ながら?おうのと野村望東尼に看取られ、維新前に没する、というのが定番だが、井沢はこの小倉口の戦いを、天才高杉の最高傑作と見事に描く。(いや「世に棲む日々」では、どう描かれていたのか、急に確認したくなった。たしか、あの龍馬の地図がでてくるのは「竜馬がいく」だったっけ?)

おうののことなんか、ほとんど無視しているのが素晴らしい。高杉で唯一気になるのが、最後までも長州藩(毛利家)に拘ったことで、このあたりが龍馬や海舟より、割り引かなければという気がするのだが、これも最近の研究では榎本=蝦夷のように、長州を独立割拠させようとしていた、とするなら、納得である。

しかも、かれがやろうとしたことは、まさに明治政府のお手本であった。(開国、近代軍制、殖産興業、等々)そして、もうひとり、井沢が見事に描き切ったのが、あの慶喜だ。

慶喜のルーツが水戸家にあることから、彼は決して「二心どの」ではなく、朝敵にだけはなりたくない、という「一心」からのみ、大阪を脱出し、戦いを放棄し、その結果最大の強運に恵まれた、との井沢の分析は、鋭いの一言。

だれか、高杉と慶喜を井沢の解釈で描いてくれないだろうか。(まあ、井沢も作家なのでこれは失礼か)本書は、例えば龍馬暗殺に関して、常識的かつ短い解説しかなかったり、ところどころ肩透かしもあるのだが、ここまできちんと丁寧に幕末を描いてくれると、ある程度知識があるので、至福の時を過ごすことができた。

 

 ●7111 機巧のイヴ (伝奇SF) 乾 緑郎 (新潮社) ☆☆☆☆

 

機巧のイヴ

機巧のイヴ

 

 

「完全なる首長竜の日」を僕は評価したのだが、次の「海鳥の眠るホテル」は正直物足りなかった。というわけで、その後はきちんとフォローしてなかったのだけれど、今回はまたも大森が大激賞。(まあ、後で調べると表題作を、大森は年間傑作集で選んでいたのだけれど)

題名から予想できるように、本書は究極のからくり人形をテーマとした連作短編集。冒頭の表題作は素晴らしい。こういうジャンルでは「玩具修理者」や「ぼっけえきょうてい」のような完璧な作品。オチも見事に決まっている。まあ、冒頭で蟋蟀が機巧であることが分かるシーンなど、僕はあの「日下兄妹」を思い起こしてしまったが。

ただ、最初の作品が良かっただけに、続く「箱の中のヘラクレス」は、悪くはないがちょっと物足りないと感じた。(ラストが「魍魎の匣」みたいなのが、気に入ったが)

しかし、本書は次の「神代のテセウス」から、とんでもない奇想伝奇SFとして爆発し、当初江戸時代に見えた舞台も、どうやらわれわれの住んでる日本とは、繋がっていない国であることがわかってくる。

その国がどういう国なのかは書かないが、まさに機巧が、国の成り立ちに絡んでくるのだ。この展開にはゾクゾクしてしまった。しかし、これは著者の特長なのか、あまり説明的な文章を書かないので、わかりそうでわからない隔靴掻痒感がかなりある。まあ、でも書き過ぎると最近の夢枕獏みたいになるから、これでよしとしておこうか。

今年は「金色機械」や本書のような、和風スチームパンク的伝奇SFが、ホラー出身の二人の作家に描かれたのだが、どちらも傑作だが、個人的には恒川の勝ちとしたい。

 

●7112 出世する人は人事評価を気にしない(ビジネス)平康慶浩(日経プ)☆☆☆
 

 

これまたあんまりな題名なんだけれど、とりあえず読んでみた。まあ、前半は解らないでもないけど、ちょっと今更この程度の内容でいいのかなあ?という感じ。

要は田坂さんの言う「求められる人材」=課長まで、「活躍する人材」=部長以上、出来る人間ほど人を育てられない、ということを著者流に色々書いているのだ。

ただ、素晴らしい人だけれど、もう一度一緒に仕事をしたいか?と聞かれると言葉につまる、カリスマ経営者たちの話は良くわかる。(自社を成長させたのち他社の劇的な企業再生まで成し遂げたカリスマ=稲盛氏?巨大企業集団を創り上げたカリスマ=三木谷氏?数々のM&Aを成功させながら企業価値を高め続けているカリスマ=永守氏?、なかなか説得力がある)

また、出世していく人の行動パターンとして、「つながりを大事にしている」「質問を繰り返している」というのも、十分条件とは思わないが、解らないでもない。しかし、本書は後半プロフェッショナルの定義となると、どうも僕とは意見が合わなくなる。

また各章の間に挟まる小説仕立ての出世物語?も、あまりにもリアリティーに欠ける。というわけで、全体としては薦めることはできない内容。

 

 ●7113 テミスの剣 (ミステリ) 中山七里 (文春社) ☆☆☆☆

 

テミスの剣

テミスの剣

 

 

帯に「どんでん返しの帝王が、満を持して『司法制度』と『冤罪』という大きなテーマに挑む」とあるのだが、まさにその通りの傑作だった。

そもそもは「かえる男」シリーズ?のレギュラー、不死身の刑事古手川の上司、渡瀬の若い頃の物語なのだが、冤罪事件を揉み消そうとする組織と、告発しようとする渡瀬の戦いが、正直あまりにも声高で不遜にもちょっと暑苦しく感じてしまった。

中山も色々大変だなあ(今回ははやりの薬丸路線?)と思いながらも、ちょっとストレートすぎるなあ、などと考えていたら、たぶんそれこそ伏線で、ラスト見事にやられてしまった。

正直、良く考えればわかるはずなのだが、完全に油断してしまった。テーマ自体が(たぶん)計算されたミスディレクションだったんだ。ひょっとしたら中山は、一時の書き過ぎ不振を脱却したのかもしれない。

というわけで、本書は中山印のお約束のどんでん返しに加え、中山ワールドの住人たちが大活躍する。まずは「静おばあちゃんにおまかせ」の高遠寺静が判事として大活躍(大苦悩?)し、そしてラストでは・・・・

いや、これはこのある意味陰惨な物語をほっこりさせる部分なので、描かないでおこう。ただし、もうひとつの中山印(これは薬丸もそうなのだが)埼玉が舞台は、今回は何と浦和署というので、大いに期待したのだが(正直、本書を手に取った理由の80%はこれだった)街の描写がほとんどない(木崎とか大原とか緑区って、浦和と言えないだろう?)ので、がっかりした。

まあ、どうでもいいといえば、どうでもいいのだけれど。最後に、僕はどうも迫水の出所後のある行動に納得がいかないのだが、まあ良しとするか。それさえなければ、本書は傑作ある。中山は間違いなく復活しつつある、と思う。

 ●7114 スカーフェイス (ミステリ) 富樫倫太郎 (幻冬舎) ☆☆☆☆

 

スカーフェイス

スカーフェイス

 

 

何か、アルパチーノに同じ題名の映画があった気がするのだが、内容を思いだせない。

で、今回は副題に警視庁特別捜査第三係・淵神律子、とあるように、アル中で暴力刑事?の律子が三係(これが、まるでケイゾクかSPEC)に飛ばされながらも、ユニークな仲間?たちと、そもそもの彼女のトラウマである、スカーフェイスの原因、連続殺人鬼ベガを追いつめていく物語。

相変らず著者はうまくて、読ませるのだが、徐々に解ってくる被害者たちの共通点(ミッシングリンク)は、「喪服のランデヴー」から「乱反射」まで綿々と続く黄金パターンで、ミステリとしてはちょっと物足りない(そもそも著者は歴史小説の人?)という気がしていた。

しかも、ベガの最後の標的が明らかになると、あまりもの大偶然に、それはないだろう、と思ってしまった。しかし、その先の犯人の被害者へのある行為で、うううんと唸らされてしまった。

これはうまい。しかも伏線が見事に生きている。(そのシーンを読んでいるときは、まさかこうなるとは思いもしなかった)『Y』におけるマンダリンは言い過ぎだが、このシーン(会話)には、痺れてしまった。

やはり富樫には、間違いなくミステリセンスがある。すみません。ただ、どうやら歴史小説でも吉田松陰を始めたみたいだし、ちょっとシリーズ多すぎない?しかも、レベルはそれぞれ高いので、フォローする方は大変なんだけど。

 

 ●7115 カルニヴィア2 誘拐 (ミステリ)ジョナサン・ホルト(HPM)☆☆☆☆

 

カルニヴィア2 誘拐 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

カルニヴィア2 誘拐 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 

 

英国人が書いた、ベネチアを舞台にした、壮大なスケールの三部作の第二弾。今回も一気に読んでしまったが、これまた訳者(奥村章子)がいい仕事をしていると思う。

しかし、読み終えて思うのは、今年かなり読んだ欧州ミステリのほとんどが、ふたつの大戦の謎が絡んでおり(本書の場合は、ユーゴスラビアによるイタリア共産化に対する、カトリックとCIAの陰謀)米国と違い欧州においては、たとえソ連が崩壊しても、未だに大戦の傷跡は血を流しているのだ。

現在の誘拐事件が、過去のパルチザンの英雄の殺人事件と絡み、日本からは見えにくいイタリアの軍事的な位置づけもあって、一気に読ませる。

そして、それはカソリックの裏歴史、さらに現在進行形の米国の犯罪?を暴き出す。そう、もうひとつ欧州ミステリの共通点は、米国への反発(侮蔑?)にあるのだ。

最後に、カルニヴィアというバーチャルリアリティーSNSと、その創造主ダニエーレの歪んだ存在が、カテリーナとホリーの対照的な女性ツートップと並んで、本書を魅力的に仕上げている。

 
 ●7116 これよりさき怪物領域(ミステリ)マーガレット・ミラー(HPM)☆☆☆☆

 

 

72年の作品。(ブルボン・ウィスキーとあって驚いた)今回はメキシコ国境の田舎町が舞台だが、やはりヒロインの夫が新婚早々失踪してしまう。物語は、その失踪から一年がすぎ、夫の死を確定させる裁判がスタートする場面から始まる。(格闘のあとや血液等々、死体以外の状況証拠は満載)

そして、夫の近親者や友人、使用人たちの証言が続くのだが、次々に明らかになる、ありふれた田舎町の複雑な人間関係が、うまいとしかいいようがない。特に夫の死を絶対に信じず、「怪物領域」を作り上げてしまう母親が恐ろしい。

また、妻を亡くした隣人も不気味だし、メキシコ人の使用人たちもどうにも信用できない。というわけで、ラストの意外性は実はそれほどでもないのだが、その描写は本当にうまい。

このコンパクトな量で(200ページ)ここまで描きつくす筆力に脱帽である。というわけで、少し甘い採点。

 

 ●7117 GIVER (ミステリ) 日野 草 (角川書) ☆☆☆☆

 

GIVER (単行本)

GIVER (単行本)

 

 

GIVERとは、復讐代行業者の社員?の殺し屋のこと。プロローグと6つの短編からなっているのだが、「ショット」「ピース・メーカー」「コールド・ケース」は、物語の反転が見事。(慣れてきたのか「コールド」はある程度予想がついたが)

ただ、次の「トマス」は、捻りすぎの気がした。このパターンはそろそろ限界か?と思ったら、ラス前の「ロスト・ボーイ」で、作者の企みが分かった気がして、目次をみたらやはりその通り。

だから、ラストの作品は「ギバー」なのだ。作者のブログを読むと、どうやらシリーズはまだ続くようだ。個人的には、そのプロット展開の切れに才能を感じるのでぜひ、他のパターンの作品も書いてほしいと思う。

著者は11年の第二回野生時代フロンティア文学賞を「ワナビー」で受賞後第一作が本書ということだが、まずは「ワナビー」を読んでみようか。(この賞の他の受賞者は、全員知らないんだけれど・・・) 


 
●7118 帰らずの海 (ミステリ) 馳 星周 (徳間書) ☆☆☆☆

 

帰らずの海 (文芸書)

帰らずの海 (文芸書)

 

 

これまたネットで大不評(手を抜くな、普通の作家に成り下がった、とか大騒ぎ。でも「漂流街」や「夜光虫」のファンっていったいいつの話?)僕は著者の「不夜城」「鎮魂歌」「長恨歌」の三部作を高く評価する。(「鎮魂歌」は読んだときはイマイチと思
たが、三部作が完結すると、「帝国の逆襲」の位置づけとしては、悪くないと感じた)

ただ、「弥勒世」を読んだとき、同じ沖縄をテーマとした桐野の「メタボラ」との間に大きな差を感じてしまい、その後はちゃんとフォローしていなかった。その馳が、どうやら普通の警察小説を書いたらしい、ということで、逆に興味を持ったのだが、上記の
うにネットでは総スカン。

主人公の刑事が、かつて恋人と一緒に捨てた街、函館に二十年ぶりにに異動で戻ってくると、それを待ってたかのように元恋人が殺されてしまう、というベタな展開には、さすがに鼻白んだが、相変らずうまくて一気に読ませる。(真保の「正義をふりかざす君へ」を思い起こした)

そして、徐々に主人公の複雑な過去と、街を出なければいけなかった理由が解ってきて、それが微妙に現在の事件と絡んでくる。このあたりのラストの畳みかける展開は、かなりノワールしていて、ただの警察小説とは言い難い魅力がある。

ただ、全体のトーンは、白川道「天国への階段」で、昭和の香りだ。主人公もヒロインも、ちょっと古臭い。特に、主人公田原には、おいおい、そこは逃げるな、といいたいシーンが何か所かあった。まあ、それでもネットのこの評価はひどい。というわけで、これまた少し甘い採点だが、読んで損はないと思う。

 

●7119 未完の流通革命 (ビジネス) 奥田 務 (日経B) ☆☆☆☆★
 
未完の流通革命 大丸松坂屋、再生の25年

未完の流通革命 大丸松坂屋、再生の25年

 

 

副題:大丸松坂屋、再生の25年。奥田兄弟というと、元トヨタ社長の兄の方ばかりが有名と、少なくとも僕は思っていたのだが、本書読了後はその不明を恥じるしかない。弟も凄い人だ。

というわけで、何となく題名に釣られて読みだしたのだが、一気に引き込まれた。たぶん、口述筆記による語り下ろしだと思うのだが、その口調?はソフトでありながら、シャープで論理的で、かつ具体的だ。

また、未完と言いながら部分的にはかなり自慢話的な内容やドロドロした話もあるのだが、それを感じさせないのは著者の品格だろうか。(ただ、たぶん実物はカミソリみたいで、非常に怖いと思うけど)

冒頭は著者が大丸に入社して、米国に留学し流通=百貨店のマネジメントを勉強する。そして、帰国後の社内変革の挫折と梅田店でのチャレンジ。さらに、オーストラリアでの起業と経営。ついに大丸の社長となり、最後は松坂屋と合併し、Jフロントリテイリングというマルチリテーラーの誕生。

ここには、流通業の歴史、マネジメント、マーケティング、店舗開発、海外ビジネス、そして経営、企業変革とビジネスモデルの再構築、という、波乱万丈かつ具体的な生きたビジネスの教科書がある。

正直、近年百貨店は苦境の中、次々合併し名前すら良くわからなくなってしまっていたのだが、さすがに銀座、松坂屋の再開発には百貨店が入らない、という話にはギョッとした。

しかし、今は奥田ならやるだろう、いやいかにも彼らしいと思える。彼の志向するマルチリテーラーが成功するかどうかは、わからない。しかし、バブル崩壊リーマンショックという逆風の中よくもここまで、改革を継続できたものだと感心する。(兄と同じく、創業家出身ではないサラリーマン社長なのに)

良く考えると、彼の変革に驚くようなマジックは一切ない。しかし、ぶれずに基本を徹底しながらも、バランスを忘れない。米国で学んだ、プラグマティズムの賜物だろうか、その思考は常に具体的だ。

特に在庫の怖さを強調しながらも、消化仕入れを全面否定はせず、論理的・科学的にマネジメントしていくところや、オムニチャネルや海外展開に対する冷静(醒めた)な視線に、著者のゆるぎないポリシーを感じる。

正直、最近全然百貨店を勉強してこなかったのだが、何となく売り場のポイントが分かった気がする。今度大阪にいったら梅田と心斎橋の大丸を見てこよう。