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2014年 2月に読んだ本

 ●6917 黎明に立つ (歴史小説) 伊東 潤 (NHK) ☆☆☆★

 

黎明に起つ

黎明に起つ

 

 

富樫に続いて、伊東の早雲もの。冒頭で伊東が書いているように、早雲自身は北条という姓を使わなかったので、本書に北条早雲という名前は登場しない。富樫も伊東もともに後北条家に関しては何度も書いてきたので、何とか司馬の呪縛から逃れようと、色々工夫をしている。

本書は司馬早雲の最大の特徴である、大器晩成部分をあっさりとスルーし、50代で物語は終わる。冒頭の備中の描写は、富樫も伊東も非常に良く似ていて、なるほどなあと感じたのだが、そこから両者は大きく違ってくる。

富樫は数巻の大河小説としたのに対し、伊東は一冊の長編にすべてを詰め込もうとした。しかし、正直言ってその作戦は裏目にでたような気がする。

まず室町期の京都での争い(応仁の乱)が、有り得るのか、と思うほど複雑、というか節操のない裏切りだらけで、誰が敵か味方なのか、理解するのに苦労するほど錯綜しているのだ。

しかし、実は後半の関東での覇権争いが、それ以上に裏切りだらけで、何がどうなっているのか、解りにくくて往生してしまうのである。まあ、この時代に関する僕の知識不足が原因なのだが、作者の筆力も足りないのでは、とも感じてしまう。

どうにも、キャラが立っていないので、人物関係が理解しにくいのだ。富樫の作品はまだそこまで物語が到達していないので、比較できないのだが。で、ひょっとしたら伊東は長編が苦手なのではないか、と勘繰ってしまう。

今まで読んだのは、ほとんど連作短編だし、確か武田家滅亡は途中で投げ出してしまった。まあ、本書が直木賞候補にならないことを願う。たぶん落選するだろう。(と僕が書くと、獲ったりするのだが)

 

 ●6918 カッパ・ブックスの時代 (NF) 新海 均 (河出ブ) ☆☆☆☆

 

カッパ・ブックスの時代 (河出ブックス)

カッパ・ブックスの時代 (河出ブックス)

 

 

残念ながら、本書は一冊の本として優れているか?と言うと、はいとは言いづらい。まああまりにも書きたいことが多かったのかもしれないが、内容がうまく整理されていないのだ。

大きく分けると、カッパ創刊の頃(神吉・長瀬コンビの黄金時代)、大争議の時代と「日本沈没」、そして80年代のノベルス快進撃(赤川&西村)、現在=カッパの終焉、となるだろうが、特に大争議について解りにくい。

もともと本書は登場人物が多すぎるのに、その出処進退があまり論理的でなく、外野席からはよくわからないのだ。特に意識的にぼかしたのかもしれないが、天才神吉を追い出した旧勢力が誰なのか、はっきり書かれていないので、何か隔靴掻痒感がつきまとう。

しかし、ここで語られる神吉メソッドとでも言うべきベストセラーの作り方(創作出版)は、まさに目から鱗の連続で、凄いとしか言いようがない。

しかも、神吉学校の生徒たちが、いろんなところに飛び散って、ゴマブックスやNONブックスを生み出していくのは、まさにリクルート社の嚆矢というべきだ。

編集者が朱を入れまくるので、校正がいらなかった、というのは驚きだし、その編集者が黒子に徹するところもかっこいい。(それに比べて、今の新書のお手軽さは・・・)

しかし、一方で日本のベストセラーが、カッパを筆頭としたノベルスに占められ続けた歴史に、正直忸怩たる思いもある。また、個人的にはブックスよりノベルス、松本清張の大ブレイクや、鮎川から西村に続く鉄道ミステリ、等々の裏話ももっと知りたかった。(栗本や上野を世に出した、カッパサイエンスにも興味がある)

しかし、本書で一番驚いたのは、神吉の右腕だった長瀬博昭が、花王石鹸二代目社長長瀬富郎の長男だった、という事実。ちっとも知らなかった。というわけで、本書はゲテモノっぽい未整理な部分も多いが(僕のような本好きには)とんでもなく面白い本であることも間違いない。

 

●6919 直木賞物語  (企画) 川口則弘 (バジリ) ☆☆☆☆★

 

直木賞物語

直木賞物語

 

 

僕は著者のHP(直木賞のすべて)の愛読者?なので、前作の「芥川賞物語」にはあれっと思ったのだが、その素直?なあとがきに笑ったあと、ちょっとしんみりした。(要は本人は当然「直木賞」が書きたかったのだが、注文は「芥川賞」で、自分の本が出せる誘惑に勝てなかったとのこと)

というわけで、やっと著者の念願叶った本書は、やはり力作で面白い。「メッタ切り」が文学賞共時的考察なら、本書は直木賞通時的研究本である。

まあ、内容はHPで既読も多いのだが、直木三十五が知られていないように、直木賞の本質も実は知られていない。芥川賞に比べて敷居が低いように見えるのだが、実は本当に奥深い、というか無定見で揺れまくり続けた賞なのだ。

僕なんかも、一時期直木賞を目の敵のように感じていた頃もあったが、(そのアンチテーゼだったはずの「本屋大賞」も、何だかなあの体たらく。まあ、これは文春に対する「このミス」と同じか)

まあ、相変らず定見はないし(いったい誰のための賞?新人?ベテラン?)受賞作家のベストの作品ではないことがほとんどなのだが、作家自体には文句がない場合が増えたように思う。

ただ、SFだけでなく、時代・歴史小説も受賞しにくい、とは今回初めて気づいた。問題はどうやったら候補になるのか、が良くわからないことで、これに関しては百田の「文学は芥川賞にまかせろ。文春本が多すぎる」という批判は的を射ていると思う。

たぶん、世間とのズレは、直木賞を受賞しても実は本が売れない、ということ。で、なぜなのか、というと例えば111回(94年上期)は、直木賞と山周賞の候補者が四人かぶった。久世の「一九三四年冬ー乱歩」、安部「彷徨える帝」、海老沢「帰郷」、坂東「蛇鏡」(山周は「狗神」)の四人である。

そして、山周賞は大差で「乱歩」が受賞したのに、直木賞は一番地味な「帰郷」が受賞したのである。僕は全部読んでいるが、この中では「乱歩」がダントツに素晴らしいでしょう。やっぱり。

海老沢ならどう考えても最高傑作は「美味礼賛」だけど、これは見事に落選。(そして、安部は前回「等伯」で受賞するまで、19年間も候補にすらならなかったのである)

でも、著者によればそんなだめだめなところが愛しい、みたいなので、これ以上ダメなところを書くのはやめよう。

でもやっぱり志水辰夫にあげなかったのと、「蒲生邸事件」を「宮部さんの才能とエネルギーを、こうした形で使われてしまうことがとても心配である」とのたまった平岩弓枝は許せないなあ。あ、「半落ち」事件も・・・やっぱりやめておこう。

 

 ●6920 天冥の標Ⅶ 新世界ハーブC (SF) 小川一水 (早川文) ☆☆☆☆☆

 

天冥の標VII 新世界ハーブC (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標VII 新世界ハーブC (ハヤカワ文庫JA)

 

 

前作の衝撃のラスト(救世群が冥王斑原種を太陽系全域に撒いたため、人類社会は滅亡に向かう)の後、セレスの地下シェルターには五万人の少年少女が生き残っていた。そして、サバイバルの物語が始まり、当然その内容は「十五少年」ではなく「蠅の王」となる。

しかし、その五万人というスケールが、凡百のサバイバル小説を凌駕する。それでも本書は、単体ならば評価は☆☆☆☆止まりだろう。しかし、第五章(本書の最終章)沃野を目指して、を読了し、ひっくり返ってしまった。

何と、物語はここでシリーズ第一作「メニー・メニー・シープ」と見事に繋がるのだ。ああ、あのセレスの街は、みんな嘘、偽物だったんだ。謎はきれいに明かされた。あの大風呂敷が見事に畳まれた。

そしてそのために、今までのすべての作品が(あの「機械じかけの子息たち」ですら)自らの役割をきちんと果たしていたのだ。何という壮大かつ緻密な構想だろう。そして、恐るべき驚愕の真相だろうか。

これを全7巻の大河SFと観たとき、評価は☆☆☆☆☆とせざるを得ない。そして、あと三巻は「メニー」後の物語となる。ミステリなら本書で完結かも知れないが、SFにはそのあとがあるのだ。いったい小川はどこまで行くのだろうか。

本シリーズは間違いなく、日本SFを代表する傑作となるだろう。出来れば「銀英伝」のように、完結してから一気に読みたかった気もするが、こうなったら少しでも早く次巻が上梓されるのを祈るしかない。小川一水に脱帽である。

 

●6921 消滅のリスト (ミステリ) 五條 瑛 (小学文) ☆☆☆☆
 
消滅のリスト (小学館文庫)

消滅のリスト (小学館文庫)

 

 

著者の新作は、何と文庫オリジナルであった。分厚い作品なのに、解説すらないところに小学館の文庫オンチぶりを感じるが、著者のスタイルの確かさは健在であった。

なにせ、冒頭から、7つから8つくらいのストーリー(数えようと思ったがあきらめた)が平行にカットバックで描かれ、少しづつ絡まり、ついには一本に収斂する。さすがに、ちょっと長いし、多すぎる気もするが、最後まで読ませるキャラクター造形力は素晴らしい。

ただその謎は、世界平和のための悪魔の「会議」の正体にかかっていて、読み終えて悪くはないけれど、やっぱりリアリティーが足りないし、ちょっと細部のつじつまが合わない気もした。

で、その謎に興味のある人はここで読むのをやめてほしいのだが、もはや絶版だと思うので元ネタを書いてしまう。

この会議の正体は、64年映画化された「フェイルセイフ」という古典的な冷戦核戦争SF(いつの作品か、ググっても解らなかった)に描かれていて、それが80年に「未確認原爆投下指令」というとんでもない題名で、創元文庫から再刊されたとき、僕は読んでいたのだ。(一時期、「渚にて」などと一緒に核戦争SFを集中して読んだことがあった)

いやあ、こんな古いネタが、今の世によみがえるとは。まあ、でもやっぱりこのネタ、米ソ冷戦状態じゃないと、ちょっと苦しいんだよね。

 

●6922 ロスト・ケア (ミステリ) 葉真中顕 (光文社) ☆☆☆☆

 

ロスト・ケア

ロスト・ケア

 

 

このミス10位にすべりこんだ、日本ミステリー文学大賞新人賞(長い!)受賞作。あんまりピンとこない賞だったので、過去の作品を調べてみたが、2冊しか読んでないし、有名な作家も生まれていないのだが、本書は新人の作品としては合格点だろう。

正直予定調和の作品だが、その筆力は確かで一気に読ませるし、プロットもしっかりしている。(問題は、途中に挟まるトリックに必然性を感じないことかな)

イメージとしては、垣根涼介の「午前三時のルースター」に近いものがあって、ということは今後に期待できる気がする。

ただ、本書は介護問題を扱っているのだが、薬丸や大門などと同じく、現代社会派と括られてしまったことが、今後の飛翔を妨げないかがちょっと心配だけれど。

 

 ●6923 魚 神  (フィクション) 千早 茜 (集英社) ☆☆☆★

 

魚神

魚神

 

 

さっそくデビュー作(小説すばる新人賞泉鏡花賞受賞)を読んでみたのだが、これはもう全然ミステリではなく、ファンタジー大賞受賞作(廃止になってしまった・・・)と言っても不思議じゃない作品。

ある架空の島の遊郭を舞台にした、不思議な姉弟の恋愛小説と書いても、全然この妙にぬめっとした(まさに魚臭い)雰囲気を表現できない。で、個人的には、その文体は素晴らしいと感じたが、物語としてはつかみどころがなく、何か短編を読んだような気分で、やや物足りない。

 

 ●6924 大江戸恐竜伝5 (伝奇小説) 夢枕 獏 (小学館) ☆☆☆☆★

 

大江戸恐龍伝 第五巻

大江戸恐龍伝 第五巻

 

 

ここまで正直あまり評価できなかったのだが、最終巻には感動してしまった。恐竜が暴れだすシーンなど、お約束どおりなのだが、盗賊の正体に(その伏線に)驚いてしまった。しかし、そんなところに感動したのではない。

感動は、源内が暴れる恐竜に自分の姿を重ねてしまう場面。そう早すぎたのと遅すぎた違いはあっても、今の時代に受け入れられない哀しみに、共鳴してしまう部分だ。まさしく、ブラッドベリの「霧笛」の世界であり、本書のモトネタである「キングコング」の哀しみだ。

そして、長大な作品をやっと読了して思うのは、もちろんもっと短くしろよ、との思いとともに、NHKドラマ「天下御免」の影響力の大きさである。テープが残っていないのが、本当に残念だ。

 

 ●6925 僕たちは戦後史を知らない (思想哲学) 佐藤健史 (祥伝社) ☆☆☆☆

 

僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

僕たちは戦後史を知らない――日本の「敗戦」は4回繰り返された

 

 

ちょっと調べたら「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」は、何と92年の作品だった。時の流れの速さに呆然としてしまう。

その後、いつの間にか沈黙してしまったと思っていた著者だが(自衛隊に入隊した、などという噂も聞いて、終わったのかと感じていた)僕が疎かっただけで、著書は着々と上梓していたようだ。

しかし、内容は僕には本論(本音)を語る前の、壮大かつ丁寧な前振りのように感じた。加藤典洋の「敗戦後論」(これも98年だ)を引くまでもなく、日本の戦後はねじれている。

その真ん中にいるときは、なかなか実感できなかったのだが、こうやって21世紀から戦後(昭和)を俯瞰すれば、右(国粋)が親米だったり、左(革新)が保守(護憲)だったり、ねじれまくりである。

その本質を炙り出すため、著者は占領時代という視点を持ち込んだのだが、これは鋭いと感じた。確かに戦争や終戦・戦後については何度も語られるのだが、占領時代に関しては(白洲次郎の活躍は、僕にはちょっとファンタジーに感じる)深くは触れられない。

もちろんそこには戦勝国の思惑が働いているのかもしれないが、そこに著者は「負けて勝つ」「負けるが勝ち」という、国民全体の集合的無意識?を設定し、そのファンタジー=欺瞞こそが、ねじれの原因とするのだ。

これは、説得力があるようにも思えるし、やや牽強付会にも感じてしまう。ただ、ちょっと前には日本人論が大好きだったこの国の人々が、今や中韓の国民性分析に熱中する姿を冷静に省みるには良い機会だし、そのファンタジーの根拠であった戦後の繁栄を失った今こそ、その欺瞞と向き合わなければならないのかもしれない。

正直、著者の言う四度の敗戦のうちの後半は駆け足で、物足りないのだが、最初に書いたように、たぶん著者の視線は、このねじれの向こう側の景色を見つめているのだと思う。次作に期待したい。

 

 ●6926 逆説の世界史1 (歴史) 井沢元彦 (小学館) ☆☆☆★

 

 

満を持しての「世界史」だったのだが、読み終えての正直な感想はちょっと期待外れである。まず、単純に内容の推敲が雑である。繰り返しがやけに多いのだ。こういうのを読むと、やっぱり小学館は解っていないなあ、と感じてしまう。

そして、内容はエジプト史と中国史なのだが、エジプトがまずそれほど面白くない。しかし、まあこれは著者のせいではなく、本書でも引用される吉村作治など何冊もエジプト本は読んだのだが、正直時代が古い上に長すぎて、解らないことだらけで、なかなかイメージが膨らまないのだ。

だから、本書にも「ピラミッドは墓ではない」「ヒエロクリフは表音文字」等々の小ネタはあっても聞いたことがある話だし、結局はっきりしたことは解らないんだよね。グラハム・ハンコックがいまさら出てきたのには驚いたけれど。

で、次の中国文明に関しては、もう何度も繰り返された朱子学批判であり、間違っているとは思わないが、ちょっと期待外れ。(朱子学とファミリー汚職を結びつけた視点はちょっと面白いが)やはり、中国を儒教だけ語るのは無茶だろうし、なによりここには戦い続けた中国という視点が足りない(内戦回避が至上課題)ような気がする。

記録媒体の紙から電子への変換やインターネットの凄さも解るが、何かちょっと語るべきテーマが違うような気がするなあ。

 

●6927 魔法使いは完全犯罪の夢を見るか? (ミステリ)東川篤哉(文春社)☆☆☆

 

魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?

魔法使いは完全犯罪の夢を見るか?

 

 

えっと、もうディックとエリスンの題名のパロディは死刑にしてほしい気がする。何かで著者は「奥様は魔女」をイメージしながら本書を書いたように語っていたが、正直あんまり色々シリーズを作るのは、どうかと思う。

粗製乱造は、当たり前だがミステリ部分の薄味化の元凶。まあ、まだまだ良心的な部分もないではないが、やっぱこの程度で満足しちゃだめでしょう。なぜか、図書館で本書と同時に「謎解きはディナー2」も手に入れたのだが、結局読む気が起きず返してしまった。当分烏賊川市シリーズだけにしょう。

 

 ●6928 ユリゴコロ (ミステリ) 沼田まほかる (双葉社) ☆☆☆☆★

 

ユリゴコロ

ユリゴコロ

 

 

申し訳ない。本書のことを、またどうせ湊かなえ的?なイヤミスでしょう?という感じでスルーしてしまったのだが、とんでもない傑作であった。というか、こんなに驚いたミステリはひさびさであった。

ただ、本書に関してはストーリーは語りたくない。何を書いても、ネタバレに繋がってしまいそうだ。はっきりしているのは、この50歳を過ぎて小説を書き始めた、という遅咲きの作家の筆力の素晴らしさだ。これは、とても新人の技ではない。

というわけで、文庫にもなったことだし、ちょっと遅きに失した感は否めないが、騙されたと思って読んでみてほしい。そして、僕は著者の他の作品もきちんと読んでみることにしよう。

 
 ●6929 オーブランの少女 (ミステリ) 深緑野分 (創元社) ☆☆☆★

 

オーブランの少女 (ミステリ・フロンティア)

オーブランの少女 (ミステリ・フロンティア)

 

 

少女をテーマとした短編が五作品収められているが、残念ながらそれらの作品につながりはない。ただ、冒頭の表題作は間違いなく傑作である。

最初に描かれる陰惨かつ不気味な殺人劇。そして時はさかのぼり、オーブランという施設に集められた、様々な病気を持った少女たちの、まるで「わたしを離さないで」のような、学園生活が描かれる。

しかし、突然のカタストロフィーがすべてを崩壊させ、何とも残酷なその原因が明かされる。そうか、本書は「わたし」ではなく、北山猛邦の「妖精の学校」だったんだ。舞台は海外で、登場人物もすべて外国人。文章もちょっと晦渋で読みずらいのだが、やはり傑作である。

しかし、残念ながら残りの作品がついてこない。決して駄作ではないのだが、表題作の輝きに比べると、やはり凡庸と言うしかないのだ。

 
 ●6930 黄昏の光と影 (ミステリ) 柴田哲孝 (光文社) ☆☆☆☆

 

黄昏の光と影

黄昏の光と影

 

 

あまり期待せずに読みだしたのだが、前評判通り、清張ばりの渋い警察ミステリ。ベテランと新人刑事コンビによる丹念かつ執念深い調査は、過ぎ去った昭和の事件と犯罪を炙り出していく。

ただ、やっぱりミステリとしては、地味すぎるなあ、と思っていたら、何とこんな結末が待っているとは。呆然。これまた何も語るまい。全編これミスディレクションとでも言うべき、驚きの作品。

ただ何かあまりにシンプルすぎて、未だあっけにとられているのだが、技あり一本(空気投げ?)ということにしておこう。

 

 ●6931 小林信彦萩本欽一 ふたりの笑タイム (対談) (集英社) ☆☆☆☆

 

 

副題:名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏。かつて、萩本欽一をモデルにした小林の短編を読んだことがある。

確かに萩本の初期のコントには、不条理(例えばツツイの「乗越駅の刑罰」をソフィストケイトしたような)な味があり、その短編はそこを強調して、欽ちゃんをかなり好意的に描いていたのだが、その裏には本書にで明かされる二人の関係があったのか。

すなわち、欽ちゃんは何かに行き詰ると、小林に色々相談していた(話を聞いていた)ということらしいのだ。しかも、驚くのは小林の方が欽ちゃんより年齢が九つ上ということ。

で、本書において、日本の笑芸の歴史を小林が語り、インタビューアーの欽ちゃんが補足するのだが、小林の著作をほとんど読んでいるものにとっては、それほどの驚きはない。

しかし、昨今の文春エッセイに、正直著者の衰えを見てしまうファンにとっては、まるで大滝や片岡とのかつての対談のように、楽しそうに語る姿が目に浮かび、うれしくなってしまう。そう、このやり方なら、あと数冊はいけるのではないだろうか。

ついでに、もう一人の生き残り?のツツイにも、こういう企画はないものだろうか。まあ、本書が集英社から上梓というのは驚いたけれど。

ただ正直言って、欽ドン以降のの欽ちゃんに関しては、僕は全く興味が持てないし(客や、お笑い素人の役者をいじるのは、好みではない)たぶん、小林も好きではないと思うのだが。あと、やっぱり分量がちょっと物足りないなあ。

 

●6932 九月が永遠に続けば (ミステリ) 沼田まほかる (新潮文) ☆☆☆☆
 
九月が永遠に続けば (新潮文庫)

九月が永遠に続けば (新潮文庫)

 

 

というわけで、今更なのだが、早速著者のデビュー作(今はなきホラーサスペンス大賞受賞作)を読みだした。本書をミステリと呼ぶべきかどうかは、良くわからない(少なくとも通常の意味のホラーではない)が、やはり著者の文体、スタイルは素晴らしいと思う。

そして、イヤミスという名称は本当に読む人の主観に関わるものであり、ジャンル名称としては使うべきではないと痛感した。本書の書評は両極端に分かれる。それもイヤが7~8割という感じ。(特にアマゾンは酷評が多い)

しかし、僕は本書が全然イヤじゃなかったのだ。確かにとんでもなくグロテスクなシーンが多々ある。しかし、僕にはその描写は決して下品ではなく、汚いはきれい、を見事に表現したように感じてしまったのだ。

ただ、本書をミステリとすると、人間心理としてどうしても納得いかないシーンがいくつかあることも確かだ。とくにメインの謎とも言うべき、失踪した息子の結末は、どうだかなあ、という違和感がある。

しかし、これまた酷評だらけの後妻の亜沙実の造形は、そのおぞましい過去(描かれていないが、拉致監禁時に何があったのかは想像できる)が、僕には逆に聖性を帯びて見えてしまったのだ。(錯覚かも知れないが)まさに汚いはきれい。(「ゴルディアスの結び目」の少女を思い起こした)

まあ、でもやっぱりミステリとしては、「ユリゴコロ」より完成度が落ちるのは間違いないか。あと、佐和子と同じく最初は嫌悪感しか感じなかった、変な関西弁の服部が、最後には全く印象が変わってしまうのが、うまい!かな?(僕はリヴァイ斑のオルオ・ボサドを思い起こしてしまったのだが・・)

 

 ●6933 カルニヴィア 1 禁忌 (ミステリ)ジョナサン・ホルト(HPM)☆☆☆☆

 

カルニヴィア1 禁忌

カルニヴィア1 禁忌

 

 

ハヤカワ・ミステリ創刊60周年記念作品。壮大なミステリ三部作、開幕! ということらしいが、これは確かに「ミレニアム」+「ダヴィンチコード」の傑作である。

ヴェネチアが舞台で、その背景にはコソボ紛争とくると、これはなかなか日本人には理解しにくいはずだが、結構スムーズに一気に読めたのは、ひとえに処女作とは思えない著者の人物造形の確かさだろう。

特に憲兵隊の大尉カテリ-ナと、米軍基地に赴任した少尉のホリーという二人の女性のキャラが見事に立っている。この二人に、グロテスクな過去を持つSNS「カルニヴィア」(2チャンネルの3Dバージョン?)の創設者ダニエーレが加わり、とんでもない陰謀(その本質は「虐殺器官」のアイディアに近い)を暴いていく。

唯一、ある人物の立ち位置がイマイチ良くわからない、というか納得いかないのだが、とにかく次作が待ち遠しい出来であることは間違いない。去年は結局最後まで、海外ミステリでこの一作と言わせる作品と出あえなかったのだが、今年は一月で早くも本書を読めたことを素直に喜びたい。

問題は次作がいつでるかだ。「ミレニアム」みたいに三部作が既に上梓されているわけではないみたい。あんまり遅いと、細かいところ忘れてしまいそうだ。

 

●6934 流通大変動 (ビジネス) 伊藤元重 (NHK) ☆☆☆☆

 

 

副題:現場から見えてくる日本経済。著者の今までのイメージは、目配りやバランスは良くても、やや表層的で物足りない、という感じだった。

ただ、著者の「流通の現場は刺激に満ちている」という結びの文章は正に僕も同感だし、何よりひさびさに見かけた「そうは問屋が卸さない」というセリフに魅かれて読みだした。

予想通り、目配りとバランスはなかなかのもので、あっという間に読了した。また、きちんとフィールドワークをしているのも好感が持てる。しかし、やはり個別の案件の突っ込みは残念ながら不足しているし、何よりオリジナリティーが足りない。(例えば、制度化粧品のチャネル戦略分析や百貨店の今後の戦略分析等々)

ただ、既に半世紀を過ぎ、ここまで拡散した流通業界の、共時性と通時性を同時に語ろうとすると、こうならざるを得ないのかもしれない。そういう意味では、これはこれで使い道を間違えなければ、良いビジネス本なのかもしれない。

ここは、まだまだ流通素人の若手に感想を聞いてみたい。ひょっとしたら、今まで断片的に触れてきた知識が、この本によってつながるのかもしれない。(ちなみに、自ら問屋機能を持って販売強化を推進する花王、なんて文章もでてきます)

 

●6935 新 生  (SF) 瀬名秀明 (河出新) ☆☆☆☆

 

新生 NOVAコレクション

新生 NOVAコレクション

 

 

「新生」「Wonderful World」「ミッシェル」の三篇を収録した中編集なのだが、内容は小松左京トリビュートというか、小松の遺産に対する瀬名の返歌のような作品集だ。(瀬名のSF作家クラブ会長辞任事件のうっぷん?を晴らすような力作である)

冒頭の表題作は、これはもう「ゴルディアスの結び目」の冒頭の作品「岬にて」を想起させる、雄大で爽快な作品だが、そのエロティシズムは「あなろぐ・らう゛」をも思わせる。

そして、続く二作において、何と小松左京の二大傑作(問題作)とも言うべき「虚無回廊」と「ゴルディアスの結び目」が、結合してしまうのだ。マクロとミクロ、悠久と刹那、相対論と量子論がヤヌスのように、大極図でありウロボロスの蛇となって、つながるのだ。

そう、人間と宇宙がつながるのである。正直良くわからない部分も多い。でも、なんだからわからなくても、すごくてわくわくしてしまうSFもあるのだ。(突然「果てしなき流れの果てに」のラストがでてきたりします)

 

 ●6936 世界のエリートはなぜ、この基本を大事にするのか (ビジネス) 戸塚隆将 (朝日新) ☆☆☆★

 

世界のエリートはなぜ、「この基本」を大事にするのか?
 

 

同じタイミングで「世界中のエリートの働き方を一冊にまとめてみた」(東洋経済)とう本がでたので、読み比べてみようか、とつい思ったのだが、やっぱ一冊で疲れてしまった。

著者はゴールドマン、HBS、マッキンゼーという絵にかいたようなエリートなのだが、①人とのつながりを大切にする、②自分磨きを一生継続する、③日々の成果出しに強くこだわる、④世界的な視野を常に意識する、ではあまりに当たり前すぎる。

まあ、そこが逆説的に売りなのだろうけど、各エピソードがうまく体系化されていない気がする。その中でも「決定的なコミュニケーションで成果を出す」として、コミュニケーションのノウハウが色々書かれていて、ここは共感した。

まあ、だからエリートなのかどうかは解らないけれど。(仕事を頼まれたら、その場で完成イメージを共有。メールの返信スピード=あなたの評価。ホウレンソウの基本は、聞かれる前にすること。ホウレンソウは仮説を入れて、念押し型でやる。「私は○○と考えていますが、よろしいでしょうか」等々)

 

 ●6937 脳はなぜ「心」を作ったのか (科学) 前野隆司 (筑摩書) ☆☆☆☆

 

脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説

脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説

 

 

04年とかなり古い本なのだが、図書館で見つけて読みだしたらやめられなくなった。(10年にちくま文庫になっている)副題にあるとおり、本書は「私」の謎を解く受動意識仮説の本であり、ロボット工学者が「心」の謎に挑んだものである。

「心」に関しては、ワトソンやペンローズの難解な本を読み、何となく脳の中の量子力学的なゆらぎがその本質かなどと、適当に考えていたのだが、本書の内容はスパッと解り易く、あらゆる哲学者を飛び越えて、オッカムの剃刀のように一刀両断する。

正直、こんなのでいいんだろうか、とも思うのだが、いわゆる「クオリア問題」にどうも胡散臭さを感じてしまう僕にとっては、ひとつの考え方としては素晴らしいカタルシスがあった。まさに心における天動説である。

心はニューロン(の発火)の集合体であり、本来ならそれで終わりである(本能と条件反射で生きていく)が、哺乳類は進化によって、エピソード記憶を身に着けることができるようになり、それこそが意識=心の正体である。

クオリアなどはその結果にすぎず、単なる錯覚にすぎない。僕流に簡略化すると、こうなってしまう。しかし、これはこれで衝撃的だけれど、一方では、で結局「心」はどこにあるの?とも感じるし、記憶の仕組みも良くわからない。(何かトートロジーっぽく、ごまかされた気もしてしまう)

でも、れは今まで誰も(哲学者も物理学者も生物学者も)解明できなかった謎に対する、ロボット工学からの挑戦として、注目すべき説であることは間違いないだろう。イーガンの「しあわせの理由」を思い起こしてしまった。

リベット博士の実験は、聞いたことがあるように思うが、その内容があまりにも異形で、真剣に考えてこなかったのだが、結局我々には自由意志などはないのだろうか。嗚呼。