2012年 1月に読んだ本

●6343 人形が死んだ夜 (ミステリ) 土屋隆夫 (光文社) ☆☆☆

 昨年度はSF界において、小松左京浅倉久志という両巨頭が没したが、ミステリ界
 においては、それほど騒がれなかったが故鮎川哲也と並ぶ戦後本格派の雄、土屋隆夫
 が亡くなっている。彼の残した「影の告発」「危険な童話」「針の誘い」の三大傑作
 は、日本ミステリ史上燦然と輝く作品群である。とはいっても土屋の没年は何と94
 歳であり、大往生としか言いようが無い。著者は寡作ではあったが、その執筆意欲は
 晩年になっても衰えず、本書は何と90歳の時の最後の作品である。土屋はなぜか7
 0歳後半くらいから逆に執筆ペースが少し上がったのだが、僕は79歳の作品「華や
 かな喪服」を読み、そのあまりにも大時代的な動機にあきれてしまい、土屋も終わっ
 たと思ってそれ以降は読んでいなかった。しかし、何とそれから90歳まで土屋は四
 作の長編を上梓しているのだ。で、本書であるが、如何にも土屋らしい叙情的な出だ
 しから、後半の逆転へと、とても90歳の筆とは思えない出来ではある。但し、客観
 的に観れば新しい捻りはないし、やはり文章等々に古臭い部分が多々あり、初心者に
 薦められるものではない。また事件の解決が論理ではなく、犯人の自白の手紙によっ
 てなされるのもパズラーとしては邪道だが、実はそこに如何にも土屋らしい仕掛け(
 例えば「影の告発」の少女の独白や「危険な童話」の童話に相当する)があることに
 ファンはニヤリとしてしまう。そして、本書には何と土屋の処女長編「天狗の面」と
 繋がる大きな仕掛けがあるのだ。作家生活50年を経て、土屋の作品は大きなループ
 を描いて見事に閉じることができた。さすがに本格パズラーの鬼である。

●6344 生霊の如き重るもの (ミステリ) 三津田信三 (講談N) ☆☆☆☆

 刀城言耶の学生時代の中篇が五作。従って祖父江偲は出てこないが、あの阿武隈川
 が快演。正直リーダビリティーやバランスには物足りない部分を感じるのだが、これ
 でもか、というくらいに詰め込まれたトリック、多重解決には感心するしかない。冒
 頭の三作は全て、足跡の無い殺人であり、トリック的には正に良くも悪くもカーであ
 る。従って、フェル博士役として阿武隈川が登場するのもしょうがないか。まあ、フ
 ェル博士より数倍性格が悪いが。そして、その後の表題作は横溝トリビュートであり、
 最後の「顔無」はチェスタトンか泡坂テーストである。正直、あまりにも密度が濃い
 ので、本当は長編にしたほうが読み易くなるのでは、とすら感じてしまう。あと、毎
 回、毎回ラストが「火刑法廷」になるのも、どうだかなあ。一応合格だが、読者を選
 ぶかもしれない。そして、何よりこのシリーズの題名は、ちっとも覚えられなくて困
 ったものだ。(あ、楢喜八のイラストが「幻影城」っぽくって懐かしかった。GJ)

 ●6345  凍  (NF) 沢木耕太郎 (新潮社) ☆☆☆☆

 ひさびさに沢木の「ポーカー・フェース」を読んだので、沢木関連のネットサーフィ
 ンをしていたら、「凍」をまだ読んでなかったことに気づいた。理由は何となく解る。
 山野井夫妻という、あまりにも超越した存在と登山、遭難、ときたらストーリーはも
 う予想がついてしまう。ノンフィクションなのだから。そして、何より「そこに山が
 あるから」「そこが天国に一番近いから」といくら言われても、僕自身は決してクラ
 イマーの本当の気持ちは理解できず、遠くから仰ぎ見ることしかできないのが解って
 いるから。読み始めて、沢木が本書を執筆するにあたって、「檀」と同じ手法を選ん
 だことに気づいた。本書は沢木のノンフィクションでありながら、山野井の一人称で
 物語が語られる。(アマゾンをチェックしても誰も書いていないのだが、ラストに登
 場する名無しの中年男こそ、沢木本人ですよね?)物語は正に予想通り進む。読んで
 いて痛くなってしまう。なぜ、そこまでやるんだ、やれるんだと思う。ただ、今回は
 山野井妙子の存在が、色んなところで良いクッションになって救われている。彼女こ
 そ真の勇者であり、恐怖という心だけが欠落した常識人、従ってとんでもない二重人
 格なのかもしれない。その全てを自分たち二人の世界に閉じ込めてしまい、自分たち
 の論理のみを信仰し、それ以外を意地のように捨て続ける。それがどれほど痛くても
 軽々と削り続ける(その象徴が指である)山野井夫妻は、正に沢木の言う「シナイの
 王国」の王様だと感じていた。しかし、本書を池澤夏樹は「自由」の本であると評し
 ている。「シナイの王国」の向こうに「自由の国」があるのか、いや今の世の中で「
 自由の国」に入るには、「シナイの王国」を通らざるを得ないのか?今はまだ僕には
 解らない。そして、山野井夫妻は「神の国」の住人であり、堕天使沢木が、その神話
 を少しだけ語ってくれたのだろう。

●6346 パラレルワールド・ラブストーリー(ミステリ)東野圭吾(中公社)☆☆☆☆

 95年の作品だが、なぜか過去何回も読む機会があったのに読まずに来てしまってい
 た。冒頭の山手線と京浜東北線の印象的なシーンを読んで、これは「Y」のような作
 品なのかと感じた。しかし、次にいきなり陳腐な三角関係と全く感情移入できない主
 人公の登場で、正直今回もここでやめようかと思った。ところが、次の章に入ると何
 と三角関係の立場が入れ替わっている(最初は親友の彼女に主人公が一目ぼれしてし
 まうのだが、次の章では主人公はその彼女と同棲している)実は序章、SCENE1、
 第一章違和感、と続くプロットに仕掛けが隠されているのだが、これ以上は書くまい。
 正直、乾や貫井がこのパターンで傑作を書いてしまったので、それほどのインパク
 は最早ないのだが、東野が理系=論理の作家であることを再認識させる人工的な傑作
 と言えるだろう。(本書が乾や貫井より先行しているかどうかは確かめていないが、
 ようはこのパターンの元祖はバリンジャーの古典であることは間違いない)問題は論
 理的整合性を優先したため、男女三人の感情をリアルに描くことには失敗しているこ
 と。ここで語られる友情にしても愛情にしても、後付けであり全く説得力を欠いてい
 る。多分、今の東野が書けば間違いなく「容疑者X」と並ぶ傑作になっていただろう
 に残念。しかし、WEBの書評においてラストが解らないとか物足りないという声が
 圧倒的に多いことには閉口する。ラストは解りやすいし、これ以外ないでしょう?問
 題があるとするなら、題名の方だ。(本書とパラレルワールドは実は全く関係が無い)
 本書のもうひとつのテーマは、記憶改変:脳科学であるが、イーガン以降の今から見
 ると正直幼稚なものだが、作中のトンデモ理論はトンデモなりに魅力的な仮説になっ
 ているところは評価すべきだろう。

●6347 天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河(SF)小川一水(早川文)☆☆☆☆★

 前巻はとんでもない迷走をしてしまったが、今回は復調、どころか全10巻のちょう
 ど折り返し地点として、数々の謎が解け、一方でこの巻としての完結したストーリー
 の方も良くできていて大満足。11年11月25日発行とあるので、各種ベストでは
 たぶん12年扱い。5月にⅥ「宿怨」が出る(しかも、前評判高し)ということなの
 で、今年のSFは天冥の標で盛り上がりそう。これは正に日本SFにおける「ハイペ
 リオン」であり「ミレニアム」である。今回は何と農業SFともいうべき惑星パラス
 の農夫タックと娘のザリーカの物語が主だが、一方ではあのダダー=ノルルスカイン
 の正体と全宇宙的な敵の正体が明かされる、というとんでもない組合せ。前者は農業
 SF?とはいいながらも、羊や遺伝子、疫病というシリーズのキーワードに関連する
 し、後者はまるで「火の鳥」のような雄大な進化の物語である。しかも、リーダビリ
 ティーは抜群で一気に読める。逆に読み易すぎて、伏線をぶっ飛ばしそう。(六本足
 の猿なんて完全に忘れていた。全巻そろったら読み直さないと本当の面白さは解らな
 いだろう)ラストには、アンチオックスも出てきて(本書の時系列はⅢの数十年後)
 サービス満点なんだけど、アニーの正体と、オムニフロアとミスチフの関係が解りそ
 うで良く解らなくてイライラする。早く答が知りたい。(しかし、こんなに世界の謎
 を伏せたまま、それでも読ませるリーダビリティーは何なんだろうか)ああ、早く完
 結してほしい。12年にアバタールチューナーの様に、五巻出るというのは無理だよ
 ね。さあ、図書館に行ってSFマガジン小川一水特集で復習してこよう。(ヴォイ
 トは勉強になりました)

 ●6348 21世紀のSF1000 (書評) 大森 望 (早川文) ☆☆☆☆

 本の雑誌の大森の書評の01年から10年分がまとまった。正月早々最高の贈り物だ。
 ただし、実は前半の五年間が「現代SF1500冊回天編」と被ってるので、めでた
 さもちょっと目減り。それでも、恐ろしいことに殆ど忘れていて(リアルタイムで本
 の雑誌でも読んでいるのに)至福の時をすごすことができた。ああ、ミステリにおけ
 る僕らの世代はみんな作家になってしまい、SFにおける大森のような評論家が殆ど
 (全く?)存在していない。これは個人的にも、ジャンル的にも、実は大きな問題な
 のではないか、と最近真面目に思っている。(まあ、僕が今更やるのは無理だけど。
 翻訳能力もないし)時代小説では一応縄田一男が同世代なことが判明したのだが、ミ
 ステリは故内藤陳がいて(合掌)、北上オヤジがいて、そこからはいきなり30ー4
 0代という感じ。しかも、彼らに比べてお薦め屋としてはイマイチなんだよねえ。妙
 に醒めている。(もっと問題なのは守備範囲か?茶木はもちろん、三橋や杉江ですら、
新本格は読んでなさそう。そういう意味では大森が翻訳ミステリまで読んでくれれば
完璧なのだが、それはいくらなんでも無理かな)本書で大森が傑作とした100冊の
うち、読了は54冊。大森の趣味が必ずしも僕と一致するわけではないので、まずま
ずの出来かな。

●6349 パズラー (ミステリ) 西澤保彦 (集英文) ☆☆☆☆

 「赤い糸の呻き」がわりと気に入ってしまったので、同系統というか正に題名が「パ
 ズラー」(副題は、謎と論理のエンタテインメント)という本書を読み出した。パズ
 ラーといいながら、冒頭の「蓮華の花」は、いきなり記憶ミステリで僕のツボにスト
 ライク。二十年ぶりに故郷の同窓会に出席した作家は、自分が死んだとばかり思って
 いた同級生の女性が元気に参加しているのに驚く、という冒頭は良くできている。そ
 こから、なぜそんな記憶の改変が起きたのかを推理し、ある女性の意志の存在に気づ
 く、という展開も良くできているのだが、残念ながらツメが甘い。もう少しで大傑作
 になったのに惜しい。次に読んだのが都筑道夫へのトリビュート・パステーシュ「贋
 作:退職刑事」。これはもう贋作の域を超えた大傑作。正にモダン・デティクティブ
 ・ストーリーと呼ぶべき作品。元祖をもう一度読みたくなるほどのうまさだが、著者
 らしいテーマ(マニュピレイト)も隠されてはいる。「卵が割れた後で」は、米国を
 舞台にした意味が良く解らないし、論理がゴタゴタしているのだが、意外な犯人と鮎
 川哲也ばりの卵のトリックが素晴らしい。「時計仕掛けの小鳥」「アリバイ・ジ・ア
 ンビバレンツ」は、悪くない内容なんだけど、著者の邪悪さが前面に出すぎていて、
 どうにも鼻白んでしまう。以上「退職刑事」だけでも読む価値がある。著者はパズラ
 ーとしての才能は十分あるのだが、そこに収まりきれない邪悪さや、論理を崩してし
 まいたいという非パズラー的な欲望が渦巻いている、難しい作家だと再確認した。

 ●6350 同 期  (ミステリ) 今野 敏  (講談社) ☆☆☆☆

 ずっと「隠蔽捜査」シリーズの一編だと思っていたら、違っていた。今野の作品の類
 別は、西澤並に難しい。で、期待値が下がったのが良かったのか、面白くて一気読み
 した。そして、読了後何が面白かったのか反芻すると、今度はアラばかり見えてくる。
 物語としては、突っ込みどころ満載なのだ。そもそも、犯人及び公安の動機も解った
 ような、解らないようなあいまいさ。(はっきりさせるとリアリティーが薄れるので
 わざとぼかしてるのかもしれないが)しかし、主人公の成長小説とすれば、これは完
 全にフォーミュラーにはまっていて、リーダービリティー抜群。プロット展開もアク
 セントが効いていてうまい。ちょっと映像的すぎるかもしれないが。そして、何より
 脇を固めるベテラン刑事たちが、渋くて魅力的なのだ。(公安もキャリアも含めてみ
 んないい刑事だった、というのはううんだが)で、結局本書の魅力は、今野が今持っ
 ている「勢い」である、と結論づけてしまおう。神様がついている間に、あまり量産
 せずに「隠蔽捜査」を乗り越える傑作を書いて欲しい。(そうなんだよね、「蓬莱」
 「イコン」と傑作が続いたときは、今野はブレイクするっと感じたのだが、その後一
 気に失速してしまった。まあ「隠蔽捜査」でブレイクはもうしたと言えるだろうが、
 前回の轍を繰り返さないで欲しいなあ)

●6351 身代わり (ミステリ) 西澤保彦 (幻冬舎) ☆☆☆☆

 タック、タカチ、ウサコ、ポアン先輩等々、安槻大学の面々がビールを飲みながら延
 々と推理、ディスカッションを繰り返す、タック・シリーズ?も、本書が6冊目で、
 10年の本格ミステリベスト10では2位に輝いている。(まあ、このベストはそん
 なに信用してないけど)で、僕は第2作の「麦酒の家の冒険」と前作の「依存」を読
 んでいるはずなのだが、何せ「依存」と本書の間には9年のタイムラグがあり、さっ
 ぱり内容を思い出せない。本書もまた、女子高校生の殺人と、ポアン先輩の友人の殺
 人という、一見関係ない事件が続けて起き、彼らの飲酒推理が始まる。こうやって、
 西澤の本をひさびさに続けて読むと、結構似たシチュエイションが何度も出てくるこ
 とに気づいた。また、西澤は論理の鋭さや逆転の妙はあるのだけれど、一方では緩い
 部分も結構ある。本書だと二つの事件をつなぐのに、これを持ってくるのはどうかな
 あ、と感じたのと、多分本来はここが売りとすべき、被害者二人の性格の悪さが事件
 に影響を与えてしまうあたりも、狙いはいいのだがイマイチ上滑りしている感。そう
 は言っても、プロローグの使い方などは抜群で感心したのだが、やっぱり全体的に締
 りが無いなあ、と思っていたら、最後の最後で犯人の真の動機が解り、これには驚い
 た。うまい。心理学的「偶然の審判」とでもいうべきか。こういうロジックのマジッ
 クはど真ん中・ストライク。ここをメインにした中篇にすれば、歴史に残る盲点トリ
 ックの傑作になったのではないだろうか。

●6352 いかに生きるか (思想哲学) 田坂広志 (ソフト) ☆☆☆☆

 内閣官房参与に指名され、原発事故対策に取り組んでいた著者が、参与をやめたのか、
 任期満了したのかわからないが、続けて2冊の本を上梓したうちの一冊。正直言って
 ジャンルも評価も良く解らない。何せ、10分で読んでしまったのだから。内容は著
 者にときどきある、詩のような形式の本で、当然一気に読めてしまう。内容は新しい
 ことは何も無いのだが(最後には、野心と志の違いまででてくる)今回も著者の言葉
 は見事に状況にマッチし、深いところまで届いてくる。著者の先見の明なのか、解釈
 力のせいなのか解らないが。本来、10分で読んだものの所感をつけるのはどうかな
 と思ったのだが、以下が書きたいので所感をつけてみた。冒頭、科学の客観性を否定
 しそこに意味を見出そうとする著者のスタンスに、鼻白んだりあぶない匂いを嗅いだ
 人も多いのではないかと思う。しかし、僕には良く解るのだ。これは正しく80年代
 近代科学の還元的パラダイムに逆らって反抗した、ケストラーやカプラたちニューサ
 イエンス(ニューエイジ)の思想の生き残りであると。科学は人間が何でできている
 かはいつか解き明かせても(ゲノム分析)決してなぜ存在しているかの意味は解明で
 きないという事実。著者の思想の裏には、僕自身が20代に必死に考えたニューサイ
 エンスのパラダイムが脈々と今も流れているのだ。ああ、しかしこの作家を本当に理
 解しているのは自分しかいないと錯覚?させるのは、太宰の常套手段であった。田坂
 さんはビジネス界の太宰なのだろうか。

●6353 ブラック・スワン降臨 (NF) 手嶋龍一 (新潮社) ☆☆☆☆

冒頭いきなりビンラディン暗殺とそれを見守るオバマ官邸、という緊迫かつ大迫力の
 シーンで一気に引き込まれ、その後は9・11以前に遡り、最後は3・11で終わる
 まで本を置くことができなかった。そして、読み終え満足の溜息をつきながら、一方
 では複雑な感慨も湧いてきた。まず、本書を僕は「ウルトラダラー」に繋がる小説だ
 と思っていたのだが、実は著者自身もNHK記者として登場するノンフィクションで
 あったこと。そして、その方法論は沢木とかなり近く、殆ど神の視点から断定的に物
 語りは語られていくので、分厚い欧米のノンフィクションとは違って一気に読める。
 しかし、一方ではその断定の根拠は確かなのだろうか、と対象が対象なだけに読了後
 はどうしても気になってしまう。その他にも、色々僕が勘違いしていたことがわかっ
 てきた。まず、申し訳ないのだがなぜか僕は著者と船橋洋一がゴッチャになっていた。
 朝日新聞とNHKなので、何となく混乱する理由は解るのだが。だから、船橋の「同
 盟漂流」が手嶋の作品ではないと気づいたとき、では僕は一体手嶋の何と言う作品を
 読んだんだろうか?「外交敗戦」は読んでないはずなのだが、と途方に暮れたのだが
 色々調べて(暇だよねえ)やっと解った。何と「外交敗戦」は「1991年日本の敗
 北」を改題して再出版したものなのだ。僕は「1991年」を読んでいたのだ。(ア
 マゾンは両者を全然別物と捉えていて、書評コメントも全く別なので見事に勘違いし
 てしてしまった。今後は気をつけないと)そしてもう一冊「ライオンと蜘蛛の巣」と
 いう、おしゃれなインテリジェンス・エッセイは前評判の割には、全く面白くなかっ
 た。というわけで、何となく手嶋に対する印象はあいまいでありながらも、ややネガ
 ティブだったので、本書の迫力とリーダビリティーに驚いたのである。ただ9・11
 のストーリーは面白いが、3・11の物語は読んでいて彼我の格差に呆然とはするが、
 そこにカタルシスは全く無い。著者の思いは解るが、この比較戦略が良かったのかど
 うかは今のところ保留としたい。せっかくの本格的なインテリジェンス小説として、
 クリントン政権の大きなミスだとか、ライス&ヒルへの厳しい評価とか、日頃のドメ
 スティックマスコミとは真逆の情報は、非常に刺激的なのだから。とにかく「ウルト
 ラダラー」はきちんと読まなければいけない、と思わせるには十分の傑作ではあった。

●6354 シャンハイ・ムーン (ミステリ)S・J・ローザン(創元文)☆☆☆★

 前作「冬そして夜」が高い評価を受けたローザンのひさびさの新作は、前評判が高か
 ったのだが、結局各種ベストではそれほど盛り上がらなかった。(文春が20位、こ
 のミスは25位)僕も年末は間に合わなかったのだが、読み終えて思ったのは、悪く
 は無いがその評価が納得できる出来だなあということ。ご存知のようにこのシリーズ
 の売りは、毎回二人の探偵ビルとリディアが語り手を交代するところにあり、今回は
 リディア・チンの番である。「冬そして夜」がアメリカの田舎町のドメスティックな
 事件であったのに対し、今回はNYが舞台で、そこにホローコーストと上海租界地の
 複雑な歴史が絡んでくる、というわけで、語り手どころが物語自体がガラリと趣向を
 変えている。「サラの鍵」+「月長石」、「マルタの鷹」風味というところだろうか。
 しかし、相変らず筆は達者だし、キャラクター造型も良いのだが、残念ながら無駄に
 長すぎる。複雑な割には意外性に乏しい。たぶん、そのあたりが票の伸び悩みに繋が
 ったのではないか。

●6355 初陣 隠蔽捜査3.5 (ミステリ) 今野 敏 (新潮社) ☆☆☆☆

 実は図書館で、「同期」「疑心」「初陣」の三冊を同時にゲットしてしまい、早速読
 み出したのだが「同期」が竜崎と伊丹の同期の話と思っていたら違っていたのは、上
 記の通り。で、次に「疑心」を読み出したら、どうにもデジャヴを感じたので調べた
 ら何ととっくに読んでいた。そして、やっと当時の記憶が蘇える。そうだ、1と2を
 読んでシリーズのファンになったのだが、「疑心3」を読んであの竜崎が恋に落ちる
 という禁断のストーリー展開に怒りを覚えて、シリーズ読破をストップさせていたの
 であった。ああ、本当に年はとりたくない。嫌になる。で、心機一転今度は間違いな
 く未読の「初陣」を読み出した。これはうまい、傑作だ。3、5という数字が示すよ
 うに、本書はシリーズ長編のスピンオフ短編集であり、伊丹視点で描かれている点に
 工夫がある。また、時系列に短編が配置されているので、長編での竜崎の異動ごとに
 二人の立場が微妙に変わっていくのも面白い。(特に「疑心」の裏話としての「試練」
 には驚いた。しかし、「疑心」を読んでない人には意味がさっぱり解らない短編だろ
 うなあ)全八話、ほとんど事件よりも、竜崎と伊丹の関係に重点が置かれるというユ
 ニークな設定だが、これが良くできているのだ。たぶんこのシリーズの画期的なとこ
 ろは、竜崎という類まれなるキャラクターの設定にある。ただ、惜しむらくはあまり
 にもユニークなため、長編だと無理が生じる場合があるのに対して、短編だとそこが
 見事に決まって、鋭い切れ味と余韻を残す。無茶やアラが生じる暇がないのだ。シリ
 ーズの本質はこちらにあるのかもしれない。実は僕が見放している間に、1で吉川英
 治新人賞、2で山本周五郎賞と推理作家協会賞を受賞し、三冠シリーズと呼ばれてい
 るらしい。すまん、今野敏はとっくにブレイクしていたんだ。ここは「疑心」はなか
 ったことにして、「転迷4」も読まなければなるまい。更にネットで調べたら、とっ
 くにTVドラマ化も終わっており、竜崎=陣内、伊丹=柳葉というキャストだったら
 しい。柳葉は解らないでもないが、陣内はないでしょう。ここは、竜崎=本木、伊丹
 =香川の「坂の上の雲」コンビはどうだろうか。

●6356 白馬山荘殺人事件 (ミステリ) 東野圭吾 (光文文) ☆☆☆

 86年に上梓された、著者のデビュー第三作の長編。まあ、あの東野圭吾にもこんな
 うぶな時代があったのか、と思う作品。雪の山荘、密室殺人、マザーグースの暗号と
 隠された宝石、等々と恥ずかしいまでのミステリガジェット満載で、残念ながら人物
 描写も稚拙で、同人誌の作品かと思ってしまうレベル。暗号や密室トリックには東野
 らしい理系論理の萌芽のようなものを感じさせはするが、所詮萌芽止まり。著者はま
 だ20代半ばだったわけで、これ以上文句を言うと可哀想だし、百戦錬磨の著者にも
 こんな真摯で初々しい頃があったんだと思えば、逆に微笑ましくなる。ただ、トリッ
 クはあっても、クイーン的な論理のアクロバットはあまり感じないんだよね。たぶん
 この頃は著者はそれほどミステリに詳しくはなかったのではないだろうか?(げっ、
 別の本の解説で高橋克彦が、本書を読んで東野はクイーンに似ていると感じた、と書
 いている・・・)

●6357 インテリジェンス 武器なき戦争(外交)手嶋龍一・佐藤優(幻冬新)☆☆☆☆

 早速本書と「ウルトラダラー」を借りてきたのだが、何と後者の文庫解説を書いてい
 るのも佐藤である。ところが本書はなかなか読みきれずに時間がかかってしまった。
 これは作者二人の曲者というかけれんのせいか、そもそも新書という雑な本作りのせ
 いか、書いている内容のパーツは凄いのだが、構築美がなく全体像が見えにくいのだ。
 やはり、こういう圧倒的な知識(ディティール)の持ち主同士が、お互いに気が合っ
 て(相手をリスペクトして)日頃のうっぷんを晴らすように次々と知識、情報、薀蓄
 を繰り出されると、一般読者はそのディティールの面白さに目を奪われて、一体今自
 分がどこにいるのかを見失ってしまうのだ。(こっちからすると、二人の会話があち
 こち飛びまくるように感じてしまう。たぶんプロ同士にはその繋がりは自明の理なの
 だろうが)まあ、それでもこの前の、加藤陽子半藤一利の対談よりは解りやすかっ
 たけど。そうか、手嶋はインテリジェンスという問題が存在している、ということを
 国民に気づかせるためジャーナリスト&作家の道を選び、一方佐藤は官僚としてイン
 テリジェンス部隊を政治家の力を借りて実際に外務省の中に作ろうとした。方法論は
 違えども、日本におけるインテリジェンスの欠落に何らかの対策をと具体的に動いた
 点において、二人は同士なのだ。しかし、二人のディティールというかリアルな現場
 力には全く圧倒される。例えば佐藤はこう言う。「私は自衛隊サウジアラビアへの
 派兵には反対です。なぜなら、日本がキリスト教国でないからです。(はあ?何が言
 いたいの?と普通の人はあきれるはず)サウジにはアメリカ軍が駐留しているが、そ
 こには経典に依拠した理屈があるのです。(何のこと?)コーランに従えば、傭兵と
 してキリスト教徒とユダヤ教徒は使うことができるんです。しかし、日本がイスラー
 ムの地に自衛隊を派遣した場合、この理屈は通用しません。異教徒が武器を持ってイ
 スラムの地に入ることを、彼らは決して認めないでしょう。日本はそのことを欧米に
 きちんと説明しなければならない」いやあ、さすが佐藤、こんな切り口で外交を語れ
 るのは母校神学部出身の佐藤しかいない。本当に目から鱗落ちまくりだが、本書には
 こんな会話が次から次へと現れて、眩暈がしてしまうのである。従って、素人はその
 ディティールに目を奪われて、全体が見えなくなるのである。そして、その素晴らし
 いディティールの割には、会話の流れが何か内輪でヨイショをし合っているようで品
 がないんだよねえ。(特に手嶋が繰り返す、ラスプーチンなる称号が目障りも甚だし
 い)インテリジェンスにそんなものを求めるのが無理なのか。ノブリスオブリージュ
 は品格だけではダメなんだろうねえ。

●6358 乱反射 (ミステリ) 貫井徳郎 (朝日新) ☆☆☆

 これまた何度も読みかけてはやめてしまった本。というのは、何回か粗筋を読む機会
 があり、たぶん僕の嫌いな偶然の重なりがストーリーのキモであるだろうことが解っ
 ていたせい。しかも、それにしてはあまりに分厚い。ただ「後悔と真実の色」が思っ
 たより楽しめたので、遂に一念発起本書も読み終えた。でやっぱり予想通りの物語で
 まるで恩田陸の作品を読んでいるよう。但し、彼女ならこの半分の分量で書き上げる
 だろう。冒頭に書かれているので繰り返すが、本書はある子供が大勢の人々の些細な
 しかし自分勝手な罪=ルール違反の積み重なりで、遂に死に到るという物語。しかし
 その事故が、あまりにもリアリティーがない百億に一つの偶然なので白けてしまう。
 しかも、恐ろしいことにこれだけ色んな話が絡んでくるのに意外性が全く無い。冒頭
 とリンクする被害者の父親のラストの慟哭(容疑者Xみたい)は、うまく決まってい
 るが、これとてやはり予定調和。よくも、これだけ大勢の人物を描き分けるなあ、と
 感心するし、それは著者の筆力の賜物であることは確かだろう。しかし、貫井はやは
 りダラダラと長く書きすぎる。本書は6掛けで十分だろう。また、せっかく上記の慟
 哭が決まったところでスパッと幕を下ろすべき。エピローグは必要ないと思う。しか
 し、無冠の帝王だった貫井も、いつの間にか本書で推理作家協会賞を「後悔と真実の
 色」で山本周五郎賞を受賞していたんだ。

 ●6359 ウルトラ・ダラー (ミステリ) 手嶋龍一 (新潮文) ☆☆☆★

 遂に本丸を読み終えた。そして、評価の難しい本だと考え込んでしまう。たぶん読者
 が本書に何を求めるかによって、その読後感は全く変わってしまう。一応旧来の常識
 に従って本書をミステリ=スパイ小説として読めば、前半のリーダビリティーは楽し
 めても、人物造型の陳腐さ、プロット展開の破綻、何よりラストの違和感、等々欠点
 が多すぎて、合格点はあげられない。一方、本書をインテリジェンス・ノンフィクシ
 ョン(的な小説)として読めば、そのディティールのリアリティーは群を抜いていて、
 ポリティカル・フィクションとしても一級である。(モデルのすぐ解る人が結構いる
 のはどうかなとは思うが)結論は著者は戦略を間違えたのだ。著者の文体はやはりジ
 ャーナリストのものであり小説家ではない。それはノンフィクションの形式でこそ生
 きるのだ。本書の題材からして、単純なノンフィクション化は無理だっただろうが、
 虚と実の配分具合、すなわちもっとノンフィクション色を前面に出して描くべきだっ
 たと思う。そういう意味では「ブラックスワン」のスタイルこそが、著者の本筋なの
 だろう。ディティールの迫力と素材の魅力、そして通奏低音として流れる問題意識は
 一級品なのだから。まあ、本音のところは、この素材を五條瑛あたりに描かせたかっ
 た。しかし、佐藤が言うように、本当に本書はある機関が、日本にインテリジェンス
 の欠落を理解させるために、手嶋に情報を与え小説化を実現したのだろうか。そっち
 の方がもっと面白い作品になるような気がするぞ。

●6360 ミレニアムと私 (NF) エヴァ・ガブリエルソン(早川書)☆☆☆★

 これまた評価の難しい本だ。「ミレニアム」三部作を完成させた直後急逝してしまっ
 たスティーグ・ラーソンと32年間共に暮らしたパートナーであった著者。(実際に
 文章に起こしているのはマリー・コロンバニ)しかし、その内容は痛切かつ泥沼の憎
 悪の物語である。残念ながら。ラーソンとエヴァは(僕からすると当たり前の感覚だ
 が)結婚、すなわち籍を入れていなかったため、何とエヴァに相続権が全く認められ
 なかった。スウェーデンでそんなことがあるの?と思ってしまうが、その結果莫大な
 利益を生み出すミレニアム産業は、生前は殆ど交流が無かったラーソンの親族(父と
 弟)の手に渡ってしまったのだ。しかし、話はそこで終わらない。ラーソンはマルテ
 ィン・ペックと同じく、ミレニアムを実は10部作として構想しており、雑誌社「ミ
 レニアム」のモデルである「エキスポ」のPCの中には、第四部の草稿が実際に存在
 するというのだ。そしてエヴァはそれだけは親族に渡すまいと、今複雑な法廷闘争の
 最中にある。その結果第四部は残念ながら、当分我々が目にすることはできないだろ
 う。何と言うことか。本書の前半は、二人の生い立ちからラーソンの死までの物語で
 ある。(二人がSFの大ファンというのは面白い。リズベットのハッカー能力の裏に
 は、ニール・スティーヴンスンブルース・スターリングのサイバー・パンクの影響
 があるとのこと)そして、ラーソンの死の瞬間から本書はリアルな日記形式となり、
 偶然彼の荷物から見つかる若き頃のアフリカ旅行の前に書いた遺書を、葬儀でエヴァ
 が朗読するシーンで本書はクライマックスを迎える。その後は戦いの記録。しかし、
 一方ではエヴァのあまりの頑なさ、特に第四部の公開に対するスタンスに、単純に違
 和感を感じるのも事実だ。気持ちは解るが、ラーソンの作品を愛している全世界のフ
 ァンへの視点が少し欠けている気がしてしまうのは、残酷だろうか。

 ●6361 彼女が死んだ夜 (ミステリ) 西澤保彦 (角川N) ☆☆☆☆

 タックシリーズの長編第一作にして、著者の第6作で96年の作品。僕にとっての西
 澤との出会いはあの超傑作「七回死んだ男」だったわけだけど(だから西澤=SFミ
 ステリ作家のイメージがずっと強かった)実は「七回」が特殊であって、本書の世界
 こそ西澤の王道なんだ、と痛感した。ミステリとしての論理とそこに収まりきれない
 ダークパワーというか、西澤は最初から西澤だったんだと妙に納得してしまった。(
 ちなみに、このダークパワーが最高に爆発したのが「収穫祭」)最初いくらなんでも
 このシチュエーションはあり得ないでしょう、というかハコちゃんというとっても邪
 悪な娘の造型が無茶すぎて、一度本を投げ出したのだが、再度チャレンジして読み終
 えて呆然。こんなトリックだったのか。(まあ、2ヶ所ほど気づけよ!と言いたくな
 る部分はあるが)しかも、途中で挟まれる財布消失の物語は何なんだ?これはまたエ
 グさとロジックの見事な融合か?しかも、有栖川有栖の有名長編のトリックとちょっ
 と似ているぞ。(何か喋り方が「テルマエ・ロマエ」になってきた)いやあ、何かも
 う困ってしまう。こんな小説ばかり読んでると、世界観が歪んでしまいそう。

 ●6362 仔羊たちの聖夜 (ミステリ) 西澤保彦 (角川書) ☆☆☆★

 6年の時を越えて同じ聖夜に、同じ場所で、同じコンビニで買ったプレゼントを持っ
 た、飛び降り自殺が三回続く。三人のうち一人は受験に受かったばかりの学生、二人
 は結婚を控えており、自殺の動機は見当たらず、もちろん互いの接点もない。本書は
 あのアイリッシュの古典的名作「ただならぬ部屋」と同じ基本構造を持ちながら、全
 く違った解決にチャレンジした力作である。ただ、惜しむらくは着地があまりうまく
 決まらなかった。きちんと伏線を張り、ダークパワーもやや抑え気味で、三段階で解
 決が行われるプロットは素晴らしいのだが、肝心の最後に浮かび上がった絵が、ちょ
 っとバランスが悪い。伏線があまりに解りやすいので、二番目の解決は予想がついた
 一方、最後の解決は凄く意外ではあるがやはりちょっと苦しい。しかし、個人的には
 ダークパワーをこの程度に抑えてくれれば、タック・シリーズは癖になる面白さだ。
 特にボアン先輩が最高。ううん、西澤祭りをやるには他に読みたい本がありすぎるの
 だが、事実上の祭りが始まってしまったか。そして本書のテーマは親子の葛藤であり、
 タックとタカチという仔羊の、本当の戦いへのイヴ=前夜祭の物語であり、この後タ
 カチが「スコッチゲーム」で、タックが「依存」において、本当の敵=自らの親との
 対決の物語に挑む、というシリーズ前半の全体構造は見えてきた。

●6363 スコッチ・ゲーム (ミステリ) 西澤保彦 (角川書) ☆☆☆★

 とうとう続けて三冊読んでしまった。本当に癖になる。8時ごろからベッドで延々読
 み出して、結局三冊目の本書の残り100ページくらいを残してスタンドを消したの
 だが、うとうとしている間も次が気になって、遂に夜中に起き出して最後まで読了し
 てしまった。で、今回も前作に引き続いて、努力賞止まり。というか、三人の少女殺
 しが起きるのだが、一人目のトリック&ロジックは素晴らしが、後の二人は蛇足。(
 何か「ナイルに死す」を思い起こした)変装をして酒の臭いをプンプンさせながら、
 手に一本の高級スコッチウイスキーを持ち、河原に中身を全て捨て、ボトルを川の水
 で洗って河原に捨て去る、という不審な人物の謎の行動が、全体のプロットや意外な
 犯人と有機的に絡んで、論理的に一気に解明される部分は実に美しい。これこそが論
 理のアクロバットであり、モダンディティクティブストーリーの魅力全開である。し
 かし、サービス精神溢れる西澤はこれに飽き足らず、蛇足を積み重ね構築美を自ら台
 無しにしてしまう。結局、本書は意外すぎる真犯人の動機と行動に全然説得力がない。
 ここは難しい。たぶん、僕のように第一の殺人のロジックだけで十分満足する人は少
 なく、派手な連続殺人にしないと本は売れないのかもしれない。一方では、プロロー
グとエピローグに登場するある人物に仕掛けられたトリックは、結局最後まで名前を
明かされることはない(状況証拠を描写するだけ)というとんでもないストイックさ
もあるのだ。一体どこまで西澤は意識しているのだろうか。たぶん意識的に無意識を
やってるんだろうなあ。確信犯だ。最後に本書はタカチの父親との対決の物語、とい
うよりは過去との決別の物語というべき内容でした。

●6364 宿 命  (ミステリ) 東野圭吾 (講談文) ☆☆☆

 90年の作品で、どうやらこのあたりから初期の学園及びトリック小説から本格的な
 脱皮が始まったようだ。しかし、「分身」や「変身」は題名や粗筋からすぐ予想がつ
 いたが、実は「パラレルワールド・ラブストーリー」も本書も同じく本質は医学ミス
 テリなのだ。しかも、いわゆる脳医学モノで、時代を先取りしているとも言えるが、
 現実には昨今の急激な脳医学の進化とブーム(ラマチャンドラン当たりが嚆矢かな)
 のせいで、申し訳ないが最早東野の緒作は古臭く感じてしまう。そして、これまた申
 し訳ないのだが、宿命という重いテーマを描くには、本書の文体も人物造型も力不足
 と言わざるを得ない。さらに、何よりミステリとしてみたときに平板としか言いよう
 がない。一応、東野の小説をこれでどれだけ読んだかと数えてみたら、46冊だった。
 全冊制覇には遥か届かないが、ちょっと初期作品を読むのは辛くなってきた。

●6365 依 存  (ミステリ) 西澤保彦 (幻冬文) ☆☆☆☆

 というわけで、図書館で分厚い本書を借りてきて、一気に読んでしまった。恐ろしい
 ことにディティールは見事に忘れている。で、今頃気づいたのだが、このシリーズの
 構造は米澤の「古典部シリーズ」と全く同じであり(男女四人という構成まで同じ)
 間違いなく元祖であるだろうこと。ただし「古典部」と違ってこちらはダークサイド
 なのだが、どちらが面白いかと言えばやはり今のところ元祖に軍配が挙がる。もっと
 も、西澤の場合「日常の謎」がすぐ非日常に化けてしまうのだが。本書は正直言って
 ややバランスが悪い。中盤のディティールが長すぎる上にギクシャクする。しかし、
 ラストが全てを救っている。こうやって、シリーズを順番に読んだものにとっては贈
 り物のようなラストシーンである。(ギクシャクした中盤のエピソードも、何とか全
 てラストに収斂される)タカチとタックの母の対決も凄いが、何より本書はウサコの
 物語なのである。今までずっと脇役に徹してきた、ウサコの一世一代の●●の物語な
 のだ。既にお気づきのように本書は再読である。しかし、00年12月の所感を読む
 と、顔から火が出る思いだ。全く読めていない。まあ、本書だけ読んでも解るわけが
 ないのだが。(ミステリとしては、今回も森村とニーリイを実は思い浮かべていたの
 はご愛嬌だが)00年にはラノベなどという言葉は無かったが、本書はキャラクター
 小説を越えた素晴らしい成長小説である。

 ●4004 依 存 (ミステリ) 西澤保彦幻冬舎) ☆☆☆★

「七回死んだ男」という、突然変異的超傑作でその存在を知らしめた西澤。(「七回」とブラウ
ンの「みみず天使」を読むと、究極のパズラーはSFになってしまうのか?と感じてしまう)し
かし、「このミス」ベスト入りした「人格転移の殺人」は、北上と同じく、面白さは認めても、
ここまでやっていいのか?という疑問をどうしても持ってしまった。そうこうしているうちに、
著者は大量生産モードに入ってしまい、とてもフォローする気がなくなってしまっていた。しか
し、不作の年とは言いながらも、ひさびさの「このミス」ベスト入り。一読、うううん、西澤は
こんな作品を書くようになっていたのか。はっきり言って、この架空の大学でのサークル的なの
り、レギュラー4人が互いに、タック、タカチ、ウサコ、ボアン先輩、(ケーコたんにルルちゃ
んときてしまう)と呼び合うのりは、当初耐えられなかった。しかし、この森博嗣を更に越える
パターンは、コミケやパロディサイトでは人気を博しそうなことは間違いない。女性がすべて何
らかの形で魅力的に描かれているのも、気持ちが悪い。これでは、あまりにオタクっぽい。そし
て、これは僕の価値観では、断じてミステリではなく、キャラクター小説だ。ところが、西澤は
マニア作家でもあるので、作中にはなかなかマニア好みの仕掛けがいっぱいある。ストーカーが
使う鍵のトリックは森村誠一の超有名トリックの応用だし、全体を覆うあるモチーフは、ニーリ
イの名作に近いものがある。そして、後半にはこの砂糖菓子のような人間模様にも、なんとなく
慣れてしまい、強引な展開に戸惑いながらも、結構引き込まれている自分を発見する。しかし、
やはり敢えて言おう。本書は現在の時点では、僕はミステリとしては評価できない。ミステリが
こういうキャラクター小説ばかりになっては困る。ただ、シリーズというより西澤のデビュー作
である「解体諸因」と「麦酒の家の冒険」くらいは、フォローしてみよ

●6366 謎亭論処―匠千暁の事件簿  (ミステリ)西澤保彦(NON)☆☆☆☆

 「依存」の翌年(01年)に上梓されたシリーズの短編集で、96年から01年の8
 作品が収められている。読み終えて、改めて西澤は「退職刑事」や「九マイルは遠す
 ぎる」が好きなんだよなあ、と感じる。シチェーションが無茶な作品(「消えた上履
 きの問題」「新・麦酒の家の問題」)やロジックが無茶な作品(「呼びだされた婚約
 者の問題」「懲りない無礼者の問題」)や相変らずダークな作品(「見知らぬ督促状
 の問題」)等々色々文句はあるが、これだけハズレのない作品集も珍しい。8編全て
 の作品に何らかの見るべき部分が存在する。ただ、論理展開が美しい作品(「盗まれ
 る答案用紙の問題」「印字された不幸の手紙の問題」)は、逆にある程度展開が読め
 るのだが、それでも面白い。惜しむらくはこの一編という飛びぬけた作品がないこと
 だが、これは贅沢な悩み。あと一作「閉じ込められる容疑者の問題」は、ある古典的
 短編のトリックを応用した密室殺人で、ラストで世界の色が一変してしまう。これが
 ベストかな。というわけで、NONノベルということで、その存在さえ知らなかった
 作品なのだが、レベルの高さに驚いている。短編だと、西澤のダークな部分が出る前
 に終わっちゃうのでいいのかもしれないけど。ただし、この作品で初めてシリーズに
 出合ったり、論理よりキャラクター小説としてシリーズを読んでいる人にはちょっと
 つらい。本書は発表順に作品が並んでいるのだが、作中の時系列は無茶苦茶。冒頭の
 作品ではボアン先輩は既に女子高の先生になっているが、最後の作品は「麦酒の家」
 の事件のすぐ後、すなわち学生時代に設定され、中にはウサコが既に結婚している作
 品まである。その上、作品ごとに語り手が変わるので、初心者は混乱するだろうし、
 キャラクター小説としては読みどころが少ないだろう。

●6367 解体諸因  (ミステリ) 西澤保彦 (講談文) ☆☆☆★

 やっとデビュー作にて、シリーズ第一作を入手。ネットでは高い評価だが、僕として
 はこれもまた努力賞止まり。デビュー作が最高傑作という作家はたぶん大成しないと
 思うが、デビュー作にその作家の資質がつまっているというのはたまに当たることが
 あり、本書も今のところそんな感じがする。内容は題名からお分かりのように、バラ
 バラ殺人の短編ばかりを集めた作品。バラバラ殺人の形は色々工夫があるのだが(中
 にはヌイグルミ切断事件なんてものがある)なぜバラバラにしたのか、という肝心の
 謎がイマイチなものばかり。また「解体昇降」には、思いっきり鮎川哲也のあるトリ
 ックが使われているが(一応少しアレンジしている?)いろんな作品の趣向やトリッ
 クを取り入れながら、後の作品に続く西澤のパターンの萌芽もあちことにあって、そ
 ういう意味ではデビュー作に原点がある、というのはこの作品に関してはあたってい
 る。そして最大の問題は、ラスト。ミステリに詳しい西澤のことだから、当然ただの
 短編集ではなく、最後に連作としてメタレベルの謎解きで全てをつなごうとするのは
 想定の範囲だが、これもまたイマイチ複雑すぎてうまく行ったとは言い難い。たぶん
 短編集としては、謎亭論処の方が遥かに洗練されていて、初心者はそちらから読むべ
 きだと思う。また、各短編の時系列がバラバラ、語り手が毎回変わるというのは謎亭
 論処と同じで、結局このシリーズは長編を読んでから、そのスピンオフとして短編を
 楽しむのが賢明。タックのよだれの件とか、本を越えてつながっているところが、マ
 ニア心をくすぐるだろうとは思うが、それは本道ではないでしょ。

 ●6368 国をつくるという仕事 (NF) 西水美恵子 (英治出) ☆☆☆★

 田坂さんの本の書評のレビュアーが、田坂さんが22ページも力作解説を書いている
 という本書を紹介していて、そっちが読みたくて借りてきた。そして読み終えて(実
 は読み終えるのにかなり時間がかかってしまった)複雑な思いに駆られてしまう。著
 者のことは全然知らなかったのだが、略歴だけでも凄い人だ。前途ある学者の道を捨
 て、世界銀行に奉職することを決断するシーンは衝撃的だし、結局彼女は遂に世界銀
 行の副総裁まで登りつめる。彼女の父が「教壇の神職から、金貸しに成り下がるのか
 !」と怒った時の彼女の答「貧困のない世界をつくる」という夢の部分は、青木さん
 や水野さんに読ませてあげたいと思った。しかし、いざ本書の内容に関しては、正直
 言って面白いとは素直に思えなかった。たぶん色々な理由がある。もともと、雑誌連
 載で一話完結のストーリーをそのまま羅列しているので、ひとつひとつの内容が浅く、
 また全体としての繋がりも乏しい。そして、これはこっちのせいなのだが、南アジア
 というエリアにはどうにもあまり興味が持てないのである。さらに、本質的にはそう
 いう馴染みのないエリアに関して、彼女の考え=結論がすぐ出てきてしまうので、如
 何にも独断先行に感じてしまうのだ。本来は南アジア全体の本質課題を明示し、その
 中のうまくいっている国とうまくいっていない国を描き、そこに対する世銀の現状と
 今後の方向性、こんな感じにまとめてくれないと、どうにも評価のしようがないのだ。

●6369 黒の貴婦人 (ミステリ) 西澤保彦 (講談文) ☆☆☆★

 遂にタック・シリーズ、既刊作品は読了。本書は三冊目の短編集で、ウサコ視点の作
 品が珍しく多い。たぶん「依存」と同じ時期かその後書かれた作品が多いので、ラス
 トを引きずっているのかもしれない。作品としては、良くも悪くも典型的な西澤短編。
 五編の作品それぞれに、論理やキャラクター小説として読みどころは必ず用意されて
 いるので読んでいて飽きない。しかし一方では、これまた全作品に突っ込みどころが
 あるので、この作品だけを読んだら、そんな無茶な!という感じで本を投げ出すかも
 しれない。というわけで、前にも書いたが、やっぱりタック・シリーズは長編を刊行
 順に呼んでからサブストーリーとして三冊の短編集を楽しむ、というのが正しい読み
 方で、僕は偶然にも殆どそういう読み方をしてしまったので幸運だったのだろう。

●6370  夢 違  (ホラー)  恩田 陸  (角川書) ☆☆☆

 最近は恩田の作品を殆ど読まないので無責任かもしれないが、如何にも恩田的な作品
 で、まあこういうのが好きな人がいてもいいとは思うが、個人的には評価できない。
 とにかく、結局何だったの?という回収されない伏線?が多すぎるのだ。基本ネタは
 中短編のレベルで、読み終えてもやっぱり長い長い短編を読まされたような感じ。そ
 こに夢と現実の融合ならば「パプリカ」、少女の夢の部分は「ゴルディアスの結び目」
 事故や予知夢は「常野物語」、ラストは「果てしなき流れの果てに」か「日出処の天
 子」、結衣子はもちろん貞子、等々、どこかで見たようなシーンがパッチワークのよ
 うにちりばめられ、どんどん話が長くなってしまう。(こんな内容で新聞連載とは驚
 いた)たまには、もっときっちり細部まで設計図を引いてから書くべきでは。少なく
 とも「光の帝国」には明確な設計図があったように思う。しかし、この作品が直木賞
 候補とはこれまた驚いた。今の審査委員で本書を評価する(というか理解できる)人
 がいるとは思えない。これは林真理子渡辺淳一の選評に大いに期待したい?まあ、
 スルーする人が殆どだろうが。津本陽が引退したのが救いかな。(あ、宮部みゆき
 いたか)

●6371 さよなら!僕らのソニー (ビジネス) 立石泰則 (文春新) ☆☆☆☆

 今まで何冊のソニー本を読んできたことか。その中には、確か著者の本も何冊かあっ
 たと思う。たぶん、ソニー、GE、WMがトップ3だろうだが、良く考えればソニー
 が一番実務とは関係がない。それだけ、井深、盛田、大賀、出井、と続く歴代のリー
 ダー達が魅力的だったのだろう。しかし、良く考えると最近ソニー本とはとんとご無
 沙汰だった。ストリンガーに関してもあまり情報はなかった。ただ、漠然とではある
 が良い状態ではないんだろうなあ、とは思っていた。ただし、それはソニー以外の国
 内家電企業も同じであり、アップル&サムソンに徹底的にやられてしまっただけと単
 純に考えていた。そして、それは本質的には正しいと思う。(たぶん、本書で著者が
 主張しているように見える過去への回帰、例えばTV事業への投資が抜本的な解決策
 になるとは僕は思わない)しかし、本書を読んで話半分でもこんなにひどいことにな
 っていたとは驚きである。これでは「ヒット&ラン」再びではないか。本書は哀しい
 本である。そして、決して対岸の火事ではない。グローバルの単純な否定に未来があ
 るとは思わないが、悲しむだけでなくここから何を学ぶか。それは深く難しい。そう
 いう意味では著者は悲しみに偏りすぎている気がしないでもないが、最近の新書の中
 では非常に良くできた良書だと思う。ただ、もう「昔は良かった」では通用しない。
 さよなら!と言っても、そこに解決策は何もない。